日本骨代謝学会

The Japanese Society for Bone and Mineral Reserch

JP / EN
入会・変更手続
The Japanese Society for Bone and Mineral Reserch

Event/イベント情報

Book/関連書籍のご案内

member/会員ページ

Infinite dream

TOP > Infinite dream > 鈴木 敦詞

人と人とのカップリングがドラマをつくる

藤田医科大学医学部 内分泌・代謝・糖尿病内科学 鈴木 敦詞
  • リン代謝
  • 石灰化
  • 骨粗鬆症

人と人とのカップリングがドラマをつくる

「内分泌代謝内科への道」
 藤田医科大学医学部 内分泌・代謝・糖尿病内科学講座教授の鈴木敦詞です。今でこそ2型糖尿病は国民病の一つとして認識され、内分泌・代謝内科/糖尿病内科を目指す医師も増えていますが、私が医師を目指した昭和の終わりには、内分泌・代謝内科は、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科といったメジャーな内科に比べて、比較的マイナーな領域と言われていました。その中で骨・カルシウム代謝を生涯の専門分野に選んだのは、ちょっとした偶然からでした。

 大学5年生の時に出入りしていた研究室(旧第一内科第五研究室)で、クロモグラニンAのエンザイムイムノアッセイ法の開発に携わりました。なかなか抗原となる物質の抽出がうまくいかず、毎回空しく牛の副腎を切り刻む日々が続いていたのですが、ある日私が抽出液のpHを間違えてしまったところ、突如実験が上手くいくようになり、研究が完成に向かいました。この時「予期せぬ出来事を失敗にしてしまうのか良い経験にできるのかは、その人次第」であることを、身をもって学ぶことが出来たと思います。大学卒業の際には、「学生時代から研究室に来ているくらいだから、当然鈴木君は内分泌・代謝を専攻するんだよね」と周囲からも言われ、「君の自宅に近い名古屋第一赤十字病院(現・日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院)に行くと良いよ。部長には話はしておいたからね。」と言われ、初期研修から大学院入学へと流れるようにキャリアパスが決まっていきました。まあ、ある意味主体性のない人生の選択だったかもしれませんが、それで不幸になったわけでもなく、今でも学生には「進みたい道を探し続けて迷子になるよりも、進んだ道でどう頑張るかを考えた方が良い。大切な事は嫌いな道を避ける事と、一緒に頑張ってくれる人を探すことだ。」と、進路指導をしています。

「大学院修了からスイス留学へ」

人と人とのカップリングがドラマをつくる
スイスのラボ La Tulipe

 さて大学院に入学した頃、名古屋大学第一内科の内分泌研究室ではカルシウム代謝を研究する先生方が全て退職されていました。そのため愛知県心身障害者コロニー(現・愛知県医療療育総合センター)発達障害研究所生化学部に主たる研究の場を移しました。小澤修先生(後の岐阜大学医学部薬理病態学教授)に師事し骨芽細胞の細胞内情報伝達機構、主にイノシトールリン脂質とホスホリパーゼを中心とした研究に携わりました。大学院修了後の進路としては、小学生の頃からの「ヨーロッパに留学したい」という夢をかなえたいと思いました。この夢は医師を目指す前からのもので、ハイデルベルグを舞台とした物語に感動し「将来必ずこの町に行くんだ」と心に決めていたのでした。また医師になった4年目に初めて参加した国際学会(ワシントンDC)で、北米の食事が合わず物が食べられなくなり、「アメリカに住んだら栄養失調で死んでしまう」と思い込んでしまったのも、欧州留学を選んだ理由です。もちろん遊びに行くわけではないので、これまでの研究が活かせる環境を探さねばなりません。そこでJBMR誌を開きEditorial BoardのリストからUSAの研究者を全て削除して、欧州の研究者を一人一人調べていきました。ハイデルベルグ大学も骨研究を行っている研究室があったので、そこを本命とした上で、ジュネーブ州立大学ほかいくつかの研究者に手紙を書きました。ハイデルベルグからは「採用しても良いが、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金をとってきてくれ」と返事が来ました。さて、これは久しぶりにドイツ語の勉強を再開しないといけないかと思っていたところへ、スイス連邦ジュネーブ州立大学のJean-Philippe Bonjour教授から「採用を考えても良いが、まず一度会って話をしてみたい。片道分の航空運賃と宿泊代は出して上げるから、片道分の航空運賃を自己負担して面接にこないか?」との返事をもらいました。そこで、生まれて初めての海外個人旅行でジュネーブに赴き、自分の研究内容をプレゼンテーションしました。とりあえず無事に終了してほっとしたところに、「あなた名古屋から来たのか?私も昔名古屋にいました。」と、アジア人女性に日本語で声をかけられました。緊張の中、思いがけず聞いた日本語に喜んだのも束の間、その女性から「ここに来てはいけない。ここはひどいところだ。私ももうすぐこの大学を去る予定でいる。」と忠告されました。夜になってBonjour教授ほかスタッフと食事に行った際、教授から「彼女と何か話していたが、彼女はわれわれのことを良くは言わなかっただろう。彼女を信じるかわれわれを信じるかは、君が決めることだ。われわれは、君に研究室に来て欲しいと思っている。」と私に決断を委ねました。数秒間教授と視線が交錯した後「この人を信じよう」という気持ちになり、思い切ってお世話になることにしました。ジュネーブでは、Joseph Caverzasio博士の指導の下、リン酸トランスポーターによる骨芽細胞石灰化開始機構の解析に取り組み、幸せな二年間を過ごしました。同時にRene Rizzoli博士をはじめとした臨床医のグループが、骨粗鬆症に関する臨床研究や社会啓発活動に携わる場面に遭遇し、帰国後に「名古屋骨を守る会」を創立するきっかけになりました。また、そこで出会ったSerge Ferrari博士(現・ジュネーブ州立大学教授)やJerome Guicheux博士(現・INSERM/フランス・ナント)は、かけがえのない友人となり、現在も親交が続いています。

人と人とのカップリングがドラマをつくる
Bonjour 教授とASBMRにて

「帰国後、藤田保健衛生大学へ」
 1998年末に2年3ヵ月の留学を終え、名古屋大学に戻り後進の指導にあたりました。当時の医局の風潮として、留学した期間と同じくらいの期間を研究室で過ごして、知識や経験を還元すること、というのが不文律のようになっていました。そこで帰国後2年を過ぎたころから将来の身の振り方を考えるようになりました。年齢も40歳間近となっていましたので、そろそろ将来の道を定める頃です。大学を離れて市中病院で臨床に専念する道もありましたが、研究を止めると言う選択肢を想像した時に、足下にぽっかりと穴があいて暗闇に落ちていくような喪失感を感じ、「あ、まだ自分は研究生活をやめられないんだ」と確信しました。そんな時期に、藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)医学部内分泌・代謝内科学講座の長坂顕雄教授(当時)から、転籍のお誘いを受けました。長坂先生とは殆ど面識がなかったので突然のお誘いに驚いたのですが、「(長坂先生の)同級生で名古屋第一赤十字病院の長谷川晴彦部長(当時)から推薦を受けた」とのことでした。長谷川部長は寡黙な方で、私が日赤病院を退職したあとは、あまりお話をする機会もなかったので、10年の時を超えてご推薦いただいたことに驚くとともに、感謝の念で一杯になりました。

「リン酸トランスポーター研究の継続」

人と人とのカップリングがドラマをつくる
III型リン酸トランスポーター過剰発現ラット

 2001年、長坂先生から伊藤光泰先生に講座教授が替わられるタイミングで藤田学園に移り、まず取り組んだのはIII型無機リン酸トランスポーター(Pit-1)過剰発現ラットの作成とビタミンD欠乏に関する研究でした。Pit-1のノックアウトが胎生致死に至ることはジュネーブでの研究でわかっていましたので、逆に過剰発現させたらどうなるかということに関心を抱いていました。この時の仮説は、胎生期のリン酸負荷により長管骨の骨幹端で早期アポトーシスがおこり四肢の短いラットが作成されるのでは?というものでした。しかし、生まれてきたラットに外表面の奇形はなく成長障害も認めませんでした。ひどく落胆したところで、生後4週頃より早発白内障を認めはじめました。これは何だろう?と動物舎で首をかしげていたところ、たまたま通りかかった病理学の先生が「こういう動物って、なぜか不思議なタンパク尿とか出たりするんだよね」と言い残して去って行かれました。そこで、ものは試しと手近にあった尿試験紙で調べてみると、さっと色が変わり顕性蛋白尿を呈する動物モデルであることがわかりました。その後、新潟大学の矢尾板永信先生にご指導いただき、細胞外リン酸によるポドサイト障害について報告することができました。なぜ、病理学の先生が、そんな印象をもたれたのか、後でお聞きしてもさっぱりわからなかったのですが、ここにも理屈を超えた科学の不思議さを感じました。リン酸研究を続けることで、広島大学歯学部吉子裕二教授、北海道大学歯学部網塚憲生教授をはじめ、多くの研究者の先生方と共同研究をしていただき、またエキサイティングな討論をおこなうことができました。研究をあきらめずに続けて良かったと、感じています。

「啓発活動と社会貢献」

人と人とのカップリングがドラマをつくる
名古屋骨を守る会写真

 臨床研究でビタミンD欠乏を始めとしたデータ収集をコツコツと続ける内に、骨折をした高齢者やその家族の方から「骨折した後どうすれば良いのか誰も教えてくれない。どうすれば再骨折を防げるのか?」という悲鳴に近いお問い合わせをいただくようになりました。その際に浮かんだのがジュネーブで参加した市民啓発活動”Donna Mobile”(ドンナ・モビール=動ける女性といった意味)でした。市民公開講座では、患者さんが積極的に壇上で発言をするとともに、スタッフが子どもを連れて参加し、幼少時より社会貢献活動を見せて次世代にボランティア精神を受け継がせていることに強い印象を受けました。そこで故冨田明夫愛知医科大学名誉教授に御相談し、骨粗鬆症に関する啓発団体「名古屋骨を守る会」を2003年に設立しました。ボランティア団体として手弁当で市民公開講座を開き情報発信を行っていたところ、「市民活動に熱心なら、財団の活動にも貢献しないか」、と折茂肇先生がお声がけ下さり、骨粗鬆症財団より国際骨粗鬆症財団(IOF)のPatient’s Societyの会議にも派遣していただくようになりました。IOFでは、後にリエゾンサービスでお世話になるAkesson博士と出会い、また「IOFの活動をするならこちらの仕事もしないか」とFerrari博士にCSA(Committee of Scientific Advisory)にお誘いいただきました。IOF-CSAで糖尿病と骨のワーキンググループに入ったことで、今度は国内の生活習慣病骨折リスクの委員会に故杉本利嗣先生にお誘いいただき、と、人の縁でつながりながら、仕事が広がっていくことを、身をもって体験しました。

「研究が人を育て人の輪をひろげる」
 私が大学院に戻ったときには、研究グループが途絶していました。そのため「鈴木先生の課題は、上に引っ張り上げてくれる同じ分野の指導者がいないことだね」とご指摘をいただいたこともあります。私が幸運だったのは、骨カルシウム代謝という、非常に学際的で複数の診療科・分野にまたがった領域で仕事をしたため、学外の多くの先生に可愛がっていただけたことです。松本俊夫先生、福本誠二先生をはじめとした内科学の先生方だけではなく、整形外科、産婦人科、小児科、放射線科、公衆衛生学といった他の専門領域の先生方や基礎医学の先生方に声をかけていいただき、これまで仕事を続けてこられました。コロナ禍によりオンラインでの情報交換の利便性は高まりましたが、やはり最後は人と人とのぬくもりの中で科学は醸成されていく物だと思います。若い先生方には、これからも積極的に人と出会い、高め合っていくことを大切にしていただきたいと思います。

人と人とのカップリングがドラマをつくる
教授就任パーティー集合写真