医歯薬工の枠組みを超えた骨基質配向性研究
- 骨基質配向性
- 異方性の材料科学
- 骨再生
中野研究室恒例のBBQ(2017年4月)
航空宇宙材料研究から生体組織・生体材料研究へ
「TiAl系金属間化合物の力学特性に関する研究」、これが私の学位論文の題名である。大阪大学で材料科学を学び、1992年に阪大大学院工学研究科の修士課程を修了した。その後、出身研究室(馬越佑吉教授(現:阪大名誉教授))にて助手として着任し、1996年に論文博士として博士(工学)をいただいた。「骨・関節」や「骨代謝」とは一見全く無縁なテーマであった。しかしその研究こそが、現在の骨基質配向性(異方性)に関する研究の礎となっている。
TiAlは、最新鋭のボーイング787のエンジン部分に搭載されている新規高温耐熱材料、といえばご理解いただけるかと思う。この新材料は1990年代に日本がその基礎・応用研究を先導し、研究開発された。私自身は材料科学(結晶塑性学・結晶学)に基づき、この材料の持つ特徴的な層状組織の変形機構に注目しつつ、研究を進めた。TiAlは対称性の高い原子配列を示すγ相と対称性の低い六角柱状(六方晶系)に原子配列を持つ異方性の高いα2相から構成され、後者は僅か10vol.%程度含まれるのみである。私の学位論文の柱は、10%しか含まれない異方性の高い六角柱状α2相が、TiAl材料全体の力学特性やその異方性を支配するというものであった。これを契機に、私のこれまで、そしてこれからの異方性原子配列や異方性結晶配列に対する知的好奇心に基づく異方性材料科学的研究・異方性材料制御の追究がスタートした。
学位論文を終えたころから航空宇宙材料研究に限定した材料研究を続けるべきか否かに対する自身の葛藤が生まれていた。材科学者にとって、耐熱材料の研究は確かに面白い。一般に温度の上昇とともに材料の強度は低下するが、耐熱材料の多くは特定の温度域(適用温度域)では温度の上昇とともに強度が上昇する「異常強化現象」が現れ、そのメカニズムも多岐にわたる。こうした研究は極めて重要であり、現在も進めている研究トピックスの一つであるが、飛行機は現実には既に空を飛び、宇宙への往還機も既に存在する。同時に、身の回りは便利で機能性の高い材料で溢れかえっている。こうした中、どういった具体的な材料科学研究をすべきか?この自問自答の中で、私の導いた答えは大きく2つあった。一つは、人は誰しも健康で長生きしたいと考える。したがって医療や健康に関わるQOL向上のための生体材料や生体組織に関する研究。もう一つは生命とは全く無縁の文化を変えることのできるような研究。例えば、アミューズメントに関わるものや化粧品のような人の心を豊かにするような材料の研究である。
結局、異方性をキーワードにした知的好奇心と合致するものとして、自然界の創成物の多くが異方性であることから、材料科学的観点から生体組織研究さらには生体材料開発の道を選択し、挑戦することにした。
骨基質配向性(異方性)に関する研究
いざ、生体組織・生体材料の研究を進めようとした際、異方性をキーワードとし、これまでの航空宇宙材料研究が荷重支持機能を持つ構造材料であったことから、生体内での構造材料としての「骨・骨関節」に注目することにした。1990年代後半は、iPS細胞が発見される前の第一次再生医療ブームともいうべき時代であった。これは良く知られるR. LangerとJ.P. Vacantiにより、「Tissue Engineering」という表題の論文がScience(1993)誌に掲載されたことがその火付け役となった。ラットの背中に耳形状の線維組織が創製された写真は衝撃的であった。Tissue Engineeringは、足場材料、成長因子、細胞の3大要素の組み合わせによって成立することも、材料科学研究者としては親近感が沸いた。そこで再生骨組織を材料科学することをテーマに当時の学生たち(徳村氏、海原氏、土田氏ら)と試行錯誤の取り組みをはじめた。後に参画する石本卓也先生は、現在准教授として中野研の骨関連研究の中核を担っている。
今振り返ると、骨に関しても、組織工学(Tissue Engineering)についても、右も左もわからない状態。恥ずかしながら、今では講演で当たり前のように使っている「骨質(Bone Quality)」という単語がNIHから2000年に提唱されていることすら知らなかった。
骨は解剖学的部位に応じて異方性アパタイトのc軸の配向性が大きく変化する(µXRDにより解析)。
T. Nakano et al., Bone, 31, (2002), 479-487.
こうした中、2002年に上図に示すように骨部位に応じてアパタイト結晶の配列が大きく変化し、頭蓋骨ではアパタイトc軸が2次元配向性、さらに有歯下顎骨においては、部位に応じて咀嚼荷重を直接受ける部位と顎荷重を支える部位では、数mm距離が離れるだけで全く違った異方性骨構造を構築していることを見出し、Bone誌に公表した。同時に、再生骨はrhBMP2を徐放して再生した場合、短時間で修復されたように錯覚される骨組織も、微細構造レベルでは長期間にわたって修復されていないことが判明した(下図)。
骨再生時に、骨基質配向性は骨密度に大きく遅れて再生し、力学特性を強く支配する。
T. Ishimoto, et al., JBMR, 28, (2013), 1170-1179.
その後骨再生に関する詳細な研究は石本准教授らを中心に深化し、図2に示すように骨密度と骨基質配向性(異方性)は同時には回復せず、再生骨の力学特性の回復には骨基質配向性の修復が不可欠であることが示された。
つまり生体骨内のアパタイト結晶は異方性の高い六角柱をベースとする原子配列を持つため、微小領域X線回折(µXRD)法やその他の材料科学的手法を駆使することで、骨基質中のアパタイト結晶のc軸配向性とそのテンプレートとしてコラーゲン走行などが、骨組織の様々な機能に代表される諸特性を支配する異方性骨質指標となることが少しずつ明らかになってきた。骨基質配向性の構築は、骨細胞(OCY)、破骨細胞、骨芽細胞の相互情報伝達とin vivo荷重負荷や骨代謝などが密接に関わっている。
ただし、骨研究を遂行するためには、同じ異方性の視点から研究を進める場合でも、これまでの航空宇宙材料研究に関する研究設備だけでは不十分であった。そのため、学位取得時には想像さえしていなかった動物飼養施設(P2A)や細胞実験施設(P2)の設置を2000年代に行った。幸運にもこうした骨に対して全くの素人の我々の研究グループが、数えきれないくらいの全国の大学や研究機関の医歯薬研究を極められている先生方にご援助いただき、今でも引き続きご指導いただいていることが現在も医歯薬工連携研究を続けられている大きな原動力にもなっている。さらに、細胞生物学や分子生物学を専門にする中島奈津紀先生や現在助教の松垣あいら先生の骨基質配向化研究への合流は分野融合的研究をさらに加速化した。
骨研究をはじめて以来、材料系学会でしか骨研究の講演をしたことのなかった私であったが、医歯薬系学会での初めての講演のきっかけをいただいたのは日本骨代謝学会であった。2004年8月の第22回日本骨代謝学会学術集会にて、乗松尋道大会長より特別講演の機会をいただいた。骨専門家の先生方への最初の講演が、500名を超える骨代謝分野でのエキスパートの前であったことから、今でも講演途中に足の震えが止まらなかったことを鮮明に覚えている。この時、やはり本流の先生方からのご指導をいただかないと我々の研究は中途半端に終わってしまうと確信したことがきっかけで、日本骨形態計測学会、日本骨粗鬆症学会、日本バイオマテリアル学会など、結果として20団体近い学会でお世話になることになった。
生体材料学研究室の発足
2008年4月、大阪大学の出身専攻の中に生体材料学の研究室が新設されることになり、これまで以上に責任のある立場として研究室を運営することになった。その際の研究室のキャッチフレーズとして、「異方性の材料科学の構築」を掲げた。研究室のHPでは、以下のように説明している。
「結晶学や結晶塑性学などの材料工学で培われた評価・解析・制御法を生体組織ならびにそれを代替もしくは誘導する生体材料の構造・機能特性の解明に適用し、生体物性の評価、生体組織再生技術の開発、生体材料の創製を目指した教育と研究を行っています。とりわけ生体組織に特徴的な階層ごとの異方性配列・構造に注目し、生体を含む特殊環境下でさえも高機能発現を可能とする材料を創製するための “異方性の材料科学” ともいうべき新たなジャンルの学問体系を築くことを目的としています。」
骨関連研究については、(1) 骨配向性解析手法の構築(ANARYSIS)、(2) 骨配向化制御のための骨系細胞・ECMの制御(CONTROL)、(3) 骨配向化機構の解明(MECHANISM)を3本柱とし、学部4年生、修士・博士課程学生、研究室スタッフで合計30名近く(見出しの写真は恒例の中野研BBQの様子)で、「異方性の材料科学の構築」に向けた研究を進めている。
骨は多様な機能を持ち複雑なシグナル伝達のもと、周囲環境や他臓器と密接に相互作用しつつ恒常性を維持しているため、研究すればするほど疑問点も次々と沸き、臓器としての骨の奥深さに驚かされ、魅了される。各々の疑問点を解明し、知的好奇心を満足させるためには、医歯薬工連携に基づき、骨微細構造の示す異方性に注目しつつ研究を進めることが、一つの重要なアプローチであるものと信じている。
骨質因子としての骨基質配向性は、様々な支配因子により感度よく影響を受ける。
骨組織中のコラーゲン線維とアパタイト結晶は、骨部位に応じた異方性構造を示し、その配向化度合いは、in vivo応力、骨代謝回転、骨系細胞挙動に極めて敏感であることから、配向性を指標とすることで、骨疾患の形成過程、創薬支援等を含め、幅広く実現できるものと期待している。そのためには、骨量・骨密度に加えて、骨質の一つの指標としての骨基質配向性を基軸とし、その形成メカニズムを解明するとともに、骨配向性を誘導可能とする方法論や骨代替材料の開発が不可欠となる(上図)。骨基質の配向化を可能とするデンタルインプラントや人工股関節は臨床応用が見えてきた。しかし骨基質配向化(異方性)の形成にあたっての分子メカニズムの理解には相当な時間がかかることが予想され、その全容解明には遠い道のりがある。
しかしながら、遺伝子、分子、細胞、組織レベルでの様々に織りなすマルチスケールの骨機能発現がそれぞれの異方性や極性に注目しつつ理解されることが、近い将来にて、骨密度・骨量医療(スカラー医療)から、骨基質配向性をはじめとする骨質医療(ベクトル・テンソル医療)へと転換されていくものと確信している。
研究室発足10周年にあたって
中野研究室は発足以来、2017年4月に10周年目を迎えた。
中野研究室10周年記念パーティーでの記念ケーキ。シンボルマークのアパタイトと骨系細胞(破骨細胞)が登場。
上図は発足10周年記念パーティーで卒業生らが用意してくれた記念ケーキである。ケーキには中野研のシンボルマークである六角柱のアパタイト結晶と骨系細胞(ケーキでは破骨細胞)の相互作用が描かれている。骨基質配向性・異方性研究は緒に就いたばかりではあるが、医歯薬工系の先生方や研究者、関係者の皆様の分野を超えたご助力のお蔭でやっと軌道に乗りつつある。定年を迎える25周年までには骨異方性研究を少しでも進化させ、超高齢社会の骨系医療に対して僅かながらでも貢献していたいものである。関係の皆様方にこの場をかりて心より御礼申し上げます。