日本骨代謝学会

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Infinite dream

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先人の苦労、無念を思い、負けない気持ちで歩き続ける

愛媛大学大学院医学系研究科 分子病理学 北澤 荘平
  • 破骨細胞
  • 遺伝子発現制御
  • エピジェネティク

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
愛媛大学での現研究スタッフ
インパール作戦敗走の後、徒歩で多くの荷物を抱えながらタイ国境を越え、何とか生き延びて穏やかな土地に到着しました。教育、診断業務が山積していて、研究時間が十分とれませんが、研究スタッフにカバーしてもらい何とか研究を継続しています。

 私は、神戸大学を卒業してすぐ病理学の大学院へと進み、主に診断病理学と白血病細胞におけるがん遺伝子産物の発現解析をテーマに研究を始めました。軟寒天を用いた細胞コロニー形成法の手技を、助教授の先生に2時間ほどに見せて頂いた以外は、研究も診断も、教官からの指導を受けた記憶がありません。分からない標本を診てもらいに他所の先生を訪ね歩くなど、極めて効率の悪い研修環境でのスタートでした。卒後3年半で国立神戸病院(現神戸医療センター)の一人病理医として2年間出向しました。1年間に病理解剖100体と生検診断4000件を抱え、毎日病院の業務をすませてから大学研究室に行き、仲間の大学院生と深夜まで研究するという厳しい生活が続きました。当時一緒に研究していた大学院生は、後に泌尿器科に戻り苦労人として成長して、国立大学法人の教授となり活躍しています。「若いうちの苦労は…」などとよく言いますが、まともな指導者がいない環境は、どうみても異常な状況であったと思います。しかしそんな中で、北澤理子が所属する神戸大学第三内科の深瀬正晃先生が、いつも「荘平ちゃん」と親しく声をかけて下さったことが私の心の支えでした。
 あるとき、深瀬先生より、「副甲状腺ホルモン関連蛋白PTHrPの単クローン抗体を作ってみないか」というご提案で合成ペプチドを下さり、早速マウスへの免疫を始めました。大変高価で免疫1回分が7万円かかるものでしたが、私は7千円と誤って認識していたため、ペプチドをふんだんに使用して極めて良質の抗体を得ることが出来ました(7万円と知っていたら十分な免疫が出来なかったかも知れません)。研究成果をCancer誌に投稿する際には、深瀬先生に英文論文を校閲して頂きました。自分の所属講座では、論文どころか学会抄録すらチェックを受けることがなかったので、深瀬先生が論文を手直しして下さったことに大変感激したことを思い出します。この抗PTHrP抗体は、その後多くの病理学研究に貢献し、現在でも病理解剖症例で悪性腫瘍随伴高カルシウム血症の病態解析に使用しています。

 1992年学位取得後、深瀬先生から「セントルイスのTeitelbaum先生がポスドクを探しているので、行ってみませんか」と誘われ、学会で来日中のTeitelbaum先生にお目にかかり、その場で留学を決め、藤田拓男先生の紹介状を頂き、アメリカ留学の運びとなりました。それまで私はPTHrP以外には骨代謝研究とは縁が無く、行きの飛行機の中で「破骨細胞の骨表面側には入り組んだ構造があるのか」などとにわか勉強をするという、全くの素人の状態で留学してしまいました。米国での生活は緩い感じで、ラボにはChineseが多く、RIや試薬などの扱いが粗雑で、当初大変困りました。改修工事で移動する際にアメリカ人ポスドクと二人で離れた場所を確保しましたが、この点は残念な思い出でした。しかし、外国で暮らす2年間は私の視野を広げ、骨代謝研究の基盤を広げるきっかけとなりました。北澤理子は、Teitelbaum先生の紹介で、同じ建物の内分泌代謝研究部門のRoberto Pacifici先生のところに留学し、サイトカインと閉経後骨粗鬆症についての研究を行い、JCIに論文を出すなど、全体として考えれば、大変良い留学であったと今は思います。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
1999年のセントルイスでASBMRが開催された際撮影した、藤田拓男先生、北澤理子、Avioli先生の写真。このとき、Avioli先生は前立腺癌の治療中でした。

 1994年7月に帰国して、まずラボの掃除から始めました。米国での経験をふまえ、分子生物学実験のプロトコールを統一して全員が共有することで、時間と経費の無駄をなくし、癌や骨代謝に関する遺伝子プロモータ領域のクローニングに着手しました。ようやく研究システムが整った矢先、1995年1月阪神淡路大震災に見舞われました。研究室の損壊はひどく、瓦礫の片付け、修復工事、機器の再設定など、風呂にも入れない状態での肉体労働が続きました。他の部局での遅れが嵩み、工事日程が遅れることも頻繁でした。休息する間もなく、数ヶ月の混乱を経て、研究再開にこぎつけたのは8月末でした。悲しいことに深瀬先生は、震災後の病棟での激務がたたり、3月末に急性冠症候群で逝去されました。私は、深瀬先生の病理解剖を担当させていただき、心臓の病変を深く目に焼付けました。震災後1年余は万事が繁多で、日付が変わってから関連病院の病理診断に向かう日常でした。若くて元気があったなと当時のことを思い出します。北澤理子は、留学後は病理学に転向し、震災復旧も常に一緒に頑張ってくれました。留学から帰国したら、子どもを作ろうと思っていましたが、この混乱にそのようなことはかなわず、夫婦二人の生活が続いています。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
留学から帰国して、2ヶ月後Teitelbaum先生が神戸を訪問した際、北澤の自宅でパーティーを行った時の写真。この4ヶ月後に阪神淡路大震災となり、更にその2ヶ月後に深瀬先生が急逝されました。
前列右より、中外製薬の三村さん、Teitelbaum先生、阪大の島先生、後列右より、島根大の杉本先生、深瀬先生、理科研阪上さん、そして筆者の北澤です(撮影:北澤理子)。

 さて、復興後は骨代謝研究を研究の3本柱の1本と位置づけ、整形外科からの大学院生も加わり、硬組織in situ hybridizationや、RANKLやOPGの発現制御研究などを米国骨代謝会議に発表し、英文論文を作成しました。日本骨代謝学会で、優秀演題賞を2年連続受賞し、ASBMRのYIAを2回受賞しました。さらに、糖尿病をテーマとする文科省COEプログラムに参画して、糖尿病合併症についての学内共同研究で順調に成果を上げました。ところが、2006年3月主任教授が任期途中で退官、勧奨退職を利用して関連病院へ天下りされました。折しも、神戸大学医学部の組織再編の経緯で、後任教授選考はなくなり、昏迷の4年間を過ごしました。実際には、学位と病理専門医を有し文科省科研費も獲得した若手教官が3名おり、私たちは病理学講義の半分、病理解剖症例6割を担当し、研究だけでなく教育や病理実務も充実して、有意義な毎日を過ごしていました。さらに市中病院に勤務する病理医の長期療養や産休の支援も行っており、当面継続するしかありませんでした。最終的に私が特命教授として寄付講座となりましたが、先行きは不透明であり、他大学への移動を決意し、愛媛大学の分子病理学(旧第1病)の教授として2010年に着任しました。北澤理子は、1年10ヶ月神戸の残務整理をして愛媛に合流し、着任後に特任教授、2014年4月からは病理診断科部長として独立しました。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
愛媛大学での学生教育の風景。半年間、病理学総論、各論と続き、スタッフ総出で講義実習を行います。

 愛媛に着任した直後より耐震工事が始まり、また引越からのスタートでした。幸い、熊本大学の山田源先生(現和歌山医大)のもとで学位を取得した原口先生の献身的な協力があり、神戸大学の機材や研究試料の移動も、北澤理子と原口先生の連携で順調に進みました。原口先生はPh.D.ですが、医学生への病理学教育にも積極的で、その温厚な性格からも多くの学生に慕われています。彼の遺伝子改変動物の知識、技術と私どもの研究をうまく統合させ、愛媛での新たな骨代謝研究も始まっています。特に、北澤理子のRANK遺伝子のsplicing variantを発現するマウスの作製、ヘッジホッグシグナルを受けた細胞系譜の追跡システムの開発、神戸から引き継いだsFRP-4遺伝子改変動物など、これまでの組織細胞レベルから個体レベルへと幅広い研究に発展しつつあります。更に幸いなことに、私の愛媛赴任と相前後して、癌研から今村先生が赴任され、その後も、飯村先生が医科歯科大から、今井先生が東大から合流され、愛媛での骨代謝研究の強力なチームが形成されつつあります。

愛媛大学の分子病理学では、教育、研究、診断を3本の柱として、少人数で奮闘しています。愛媛での学生教育は、半年にわたる病理学総論、各論の講義実習を行い、毎回教員全員がすべての講義実習に参加し、指導します。それに加え、医科学研究の学部学生を1年生から6年生まで、総勢40名ほどの学生が教室に所属し、学部学生の研究、学会発表、論文作成指導を行っています。ピペットマンも持ったことがない学生に、一から研究指導していくわけですから、完成品のポスドクを即戦力として雇用するようなわけにはいきません。膨大な時間と労力をかけて指導し、最終的に学部学生全員が筆頭著者として英語論文を報告することを目標にしています。過去3年間で、これまでに学部学生を筆頭とする英語論文を11編出すことができました。これからも学部学生との関わりを持ちながら、一人でも多くの病理医、骨代謝研究者を育てていきたいと願っています。また、病理学講座は、北澤理子の管轄する病理診断科と連携して、附属病院、関連病院の病理組織診断、術中迅速診断、病理解剖を行っていて、その日常業務の量は膨大なものとなります。研究のみに集中できる環境とはほど遠いのですが、日常業務から常に新たなテーマを追求し、リサーチに対する意欲が失われることはありません。次の病理医を目指す若手が来るまで辛抱しながら、自身の老化と戦う毎日ですが、全共闘世代の大学改革劇に翻弄された日々、大学を去った人々を思えば、このような苦労は、大したことはありません。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
北澤の愛媛の自宅で休日にゆっくりと朝食を取る北澤理子。自宅にはウッドデッキが有り、そこから奥道後までが見渡せます。
当初築35年の官舎で単身赴任でしたが、北澤理子合流に合わせて家探しをして大学から車で15分という便利な場所で自然を満喫できる家に行き当たりました。

私は、日本の美しい四季、美しい環境と文化を子孫に残してくれた先達には心より感謝しています。特に大東亜戦争で祖国のために戦い、無謀な司令部の指示で辛酸をなめ、終戦後黙々と復興を遂げてきた方々には、自身のこれまでの体験と重なるところもあり、いつも「先人の苦労、無念を思い、負けない気持ちで歩き続ける」ことを心に頑張っていこうと思っています。