日本骨代謝学会

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Infinite dream

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継続は力なり。

大阪大学大学院歯学研究科生化学教室 西村 理行
  • 骨生物学
  • シグナル伝達
  • 転写因子

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
大阪大学歯学研究科生化学教室同門会(常安会)での米田 俊之先生(中央)、竹田 義朗先生(右)、筆者。

 骨代謝研究のトップランナーとしての原稿の依頼を受けて、重い筆をようやくとることにしました。凡庸な私が、トップランナーであるという認識は全くなく、周回遅れのランナーと思っています。また骨研究に関しては、未だ自信が持てず、個人的には、 “分子屋”、“シグナル屋” 、“遺伝子クローニング屋”と思っています。ただ研究者の道を歩んでいるのは、少年時代になんとなく研究者に憧れていた気持ちが、お世話になった恩師、先輩、同輩、そして後輩の協力やサポートがあり、巡り巡って、たまたま導かれた偶然の結果だと思っています。その意味では、幸せに仕事をさせていただいていると感謝しています。この拙文を読まれた若い方が、「私にもきっと出来そう!」と骨代謝研究に興味を持ち、優れた研究を展開する一助になれば幸いです。

1.大阪大学大学院への進学からニューヨーク留学まで
 私は、決して勉強熱心でもなく、学業に真面目に取り組んだとは恥ずかしくて言えません。その理由の一つに、出願時間際に第一志望(某大学物理学科)を変更して、何となく大阪大学歯学部に入学し、将来のこともあまり考えずに大学生活を送っていたことが上げられます(先輩方、関係者の方々、すみません!)。このような私にも転機が訪れました。一診(診療実習を行う六年生を指します)に上がり、口腔外科の外来で一生の恩師である米田 俊之先生(大阪大学名誉教授・インディアナ大学教授)に巡り会いました。
 元来、美的センスに欠ける私には歯の人工物を作るということが大の苦手でした。その一方、メスを持つことと、歯を削ることは好きでした。その私に、米田先生は、埋伏歯の抜歯、小手術、顎顔面の骨折の処置などを随分と自由に行う機会を与えてくれました。その時、何よりも驚いたのが、若干の不手際(?)な操作があっても「上手い、天才だ、ばっちりだ」と褒めるばかりで、お世辞と思いながらも有頂天になっていました(単純な私・・・)。特に、「もう任しておく」と云われることも度々あり、その器量の大きさに驚いたものです。そのようなことが続き、私は一診の診療室でなく口腔外科の診療室に入り浸り、口腔外科の症例の配当を毎日待つようになっていました。また、臨床実習時間後も、細胞培養の方法などを米田先生に教わり、抄読会にも参加させてもらいNatureやScienceを読んだりしました。でも実際は、中身はチンプンカンプンで抄読会は苦痛でした。米田先生は、人を褒め、「その気にさせる」のが本当に上手で、知らず知らずに米田ワールドの中に引き込まれていきました。そのような成り行きで、臨床実習が始まって数ヶ月で米田研への入局を決めました。
 口腔外科教室に入局してからは、寸暇を惜しんで頭頸部腫瘍の臨床と悪性腫瘍随伴症候群の研究に励みました。研究は、悪性腫瘍随伴症候群の患者さんのがん細胞を樹立し、その細胞が産生するサイトカインの精製・同定を目指しましたが、結局、G-CSFであることがわかり、随分がっかりしました。大学院の4年生になるころ、細胞内シグナル、Molecular Biology、遺伝子クローニングを学びたくなり、当時、Grb2ならびにPI-3キナーゼの同定、FGFRの構造解析などシグナル伝達の世界的第一人者であるJoseph Schlessinger教授(NYU Medical Center:現Yale大学教授)を米田先生に紹介されました。大学院卒業後は関連病院で臨床業務に勤め、細々と実験を続ける傍ら、Schlessinger教授に何度も連絡をとりました。雪のひどい冬のある日に、「京都にYossi(Schlessinger教授のニックネーム)が来ているので、挨拶に行ってこい」と米田先生より連絡を受け、診療も急いで済ませ、家内と京都に向かいました。初めて出会ったYossiは、大柄で、ジーンズにボタンダウンシャツと随分とカジュアルな出で立ちで、スーツを着込んだ私をインタビューしてくれました。後日談になりますが、当時、片言の英語しか喋れない私は、Yossiにとって全く魅力のない人間に映ったそうで、米田先生には、「採用できない」と断言されたそうです。この時、英語を喋れないことだけでなく、自分のしたいことを明確にし、説明できる能力の重要性を痛感しました。しかし米田先生の幾度の電話攻撃と素晴らしい推薦状のお陰で、Schlessinger研に留学が決まったのは、その数カ月後でした。この時も本当に米田先生に大層、感謝致しました。

2.Schlessinger研での実験三昧時代
 長女の出産の関係で、ニューヨークには、まずは単身で飛ぶことになりました。ニューヨークに着いた翌日には、すでに実験が準備されており、ほぼ3ヶ月間は、大学とアパートを行き来するだけで、アパートには家具も電燈もテレビも電話もない状況で、ベッドだけは、同じラボのポスドクメンバーに借りて寝るだけという生活を続けていました。しかし、この時はどの実験も楽しくて楽しくて、全く苦痛ではありませんでした。この間にプロジェクトを自分で考え、実験に没頭する時間を持てたお陰で、シグナル研究に必要な知識・技術の基本をおおよそ修得することもできました(と思う)。何よりも当時のSchlessinger研には30人以上のポスドクがおり、日本人は私一人という状況で、否応なく英語とコミュニケーション能力がそれなりに上達しました。最初は挨拶もなかなか通じなかったのが、ある日、一人のポスドクが「RikoがDiscussion」していると驚かれたりしました。(英語に不安の若い人へ:話す意志さえあれば言葉は、何とかなります!)
 当時のYossiのラボでは、EGFRをリン酸化させたprobeを使った遺伝子クローニングとクローニングされた分子の機能解析がメインプロジェクトであり、私も遺伝子クローニング、DNAシークエンス(ゲル板を用いたRIのマニュアル法)、結合実験、抗体作製、Stable Cell Lineの樹立などに明け暮れ、SH3ドメインに結合する分子のクローニングに日夜、励んでいました。
 Yossiのラボは、マンハッタンのどまんなかにあるにもかかわらず、日夜、多くのポスドクが働いており、不夜城の様相を呈していました。各自のプロジェクトは、基本的には、ポスドクが一人で考え、周りのポスドク連中と実験をしながら相談するというスタイルでした。Yossiも時間がある時はラボを周り、ジョークを飛ばしながらラボのメンバーの研究の進捗状況、働き具合、ならびに心理状況を観察しているようでした。私のベンチに来ると、必ず、日本語で“しもネタ”を話していました。特に、新しい“しもネタ”を日本語で覚えていくというのを楽しみにしているようでした。
当時、骨代謝領域のビッグ・ショットである某先生がサバティカルでYossiのラボに来ており、「大(だい)スケベ」と日本語で言って教えてくれました。実際、某先生の女性に対する愛情の注ぎ方を知って、納得至極です。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
ニューヨーク留学当時のSchlessinger教授と筆者。

 ラボミーテングは、毎月1回の頻度で回ってきて、Yossiと他の30人以上のポスドクを相手に議論するというたいへんタフなものでした。Yossiが質問する回数は少なく、ポスドクの鋭い質問に対してどのように対応しているかを観るのがYossiのスタイルでした。また面白くないプレゼンをすると、本を読み出すという行動に出られるので、話す方は必死でした。空気が不味い時は、Fワードを連発して興味を引くという最終手段も不可欠でした。(当時は、英語でジョークを言える余裕も語学力もないため・・・。)
 ニューヨークではエンパイヤーステートビルから徒歩10分程度にある大学のアパートに住み、セントラルパーク、5番街、ブロードウェイ、SOHOも徒歩圏内という好立地条件にもかかわらず、シグナル伝達の研究に1年364日、明け暮れていました(クリスマスだけは、休みました)。その結果、0歳時を抱えた家内は、毎日、文句も云わずにベビーカーでセントラルパークなどを散歩して時間を潰すのが日課でした。今、考えると家内のサポートが無ければ、あのような実験三昧は出来なかったと心から感謝しています。(今頃になって、当時の話をされて、家族の中で小さくなっています・・・。)

3.骨代謝研究のメッカ、サンアントニオ時代
 Yossiのラボに移って1年半ほど経ったころ、幸運にも2つの論文が仕上がり、研究手法もおおよそ獲得したと信じ込み(根が単純!)、シグナル伝達研究を使ってBiologyを展開したいと思い始めました。(この頃には、歯科医師に戻る気は、完全になくなり、出身教室の教授に迷惑をかけたようです。すみません。)そこで当時テキサス大学サンアントニオ校にいらした米田先生に電話で何度も相談に乗ってもらいました。その結果、Yossiの了解も得て、故Gregory R. Mundy教授(愛称はGreg)率いるサンアントニオ骨代謝チームにインタビューに向かいました。いろいろ話し合った結果、サンアントニオに移る決心をしました。
 この時期、Yossiに、”I am your father in US.”と言われた時は、泣きそうになりました。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
来日時のMundy教授と筆者。

 サンアントニオチームには、米田先生、G David Roodman教授、Brendan F. Boyce教授、Lynda Bonewald教授等の各々のグループをGregが束ねているという構成でした。Gregは毎週、月曜日と金曜日の朝7時半にMeetingを行い、破骨細胞チームと骨芽細胞チームに交互に発表させていました。不味いことに私は、両方のプロジェクトをしていたため、毎週2回、プレゼンをするという難題をかせられていました。当時のGregの質問は、非常に的確かつ鋭いため、十分に実験をしてデータを解りやすくまとめてないと“火の海”状態に晒されてしまいます。Yossiには、サイエンスの醍醐味と凄さを学ばせてもらいましたが、Gregにはそれをどのように表現するかを徹底的に教育され、サイエンスの厳しさを叩きこまれたように感じています。
 幸い、サンアントニオでも米田先生、Gregが、私の好きなようにプロジェクトを進めさせてくれましたので、“どうすればプロジェクトが上手くいくか、どのようなアプローチが上手くいかないか”の目利きや経験値を上げることができたと思います。当時も土日に関係なく仕事をしていましたが、流石に家内も灼熱のサントニオをベビーカーで回ることも出来ず、米田先生の奥様には非常に親切になり、米田先生ともどもプライベートでたいへんお世話になりました。米田先生ご夫婦のサポートがなければ、私たちはアメリカ生活に疲れ果てていたと想像します。この頃より、家庭内での家内の発言力が強まり、私が家庭内野党になっていく素地ができつつあったように思います。サンアントニオに移って3年あまりした頃、米田先生が母校の大阪大学歯学部の生化学教室に戻ることになり、またまた相談を重ねて阪大に帰ることにしました。

4.大阪大学歯学部生化学教室に異動して
 大阪大学歯学部生化学教室の前任の教授は、学生時代のクラス担任である鈴木 不二男先生で、生化学教室に赴任するのも大きな縁のように感じられました。というのも、大阪大学歯学部生化学教室は、初代教授の故 竹田 義朗先生、鈴木先生(二代目教授)、そして米田先生と優れた生化学者によって主宰されてきた、非常に伝統のある研究室で、大学院生の頃は、研究室に近寄るのも憚れていたからです(副科目に生化学を選んでいましたが、抄読会には尻込みしていけませんでした。すみません!)。当時、他所者感を強く抱いていた私でしたが、竹田先生、鈴木先生をはじめ、同門会(常安会)会長の大工原 恭先生(鹿児島大学 名誉教授)たちに可愛がって頂いて、今も深く感謝しております。
 帰国当初、海外からの異動ということもあり、研究室には、研究費、人、設備が、ないない尽くしで、研究どころではありませんでした。最初の頃は、米田先生と、「もうアメリカに帰ろうか」と何度も話し合い、随分と悩みました。帰国後2年目に、最初の大学院生である波多 賢二さん(現 当教室の准教授)が補綴学教室から研究に参画してから、次第に大学院生も増え、獲得研究費も増加するとともに、どんどん新しい機器が入り、設備も整いはじめました。また何よりも有りがたく励みになったこととして、日本骨代謝学会一年生の私が、日本骨代謝学会の当時の(現在も)重鎮である清野 佳紀先生、松本 俊夫先生、山口 朗先生をはじめ多くの先生方にたいへんお世話になったことです。日本骨代謝学会は、他領域の研究者や臨床家を広く受け入れる寛容さを持っている学会で、この学会の優れた魅力の一つと思います。
 研究面では、骨芽細胞と破骨細胞に加えて、脂肪細胞や軟骨細胞と研究対象の細胞も広がってゆき、シグナル伝達にとどまらず、転写因子やエピゲノムを含め、研究領域もより深くなってきました。軟骨細胞の研究は、鈴木先生と当時大学院生であった米田先生が当教室で開始された研究領域であり、鈴木先生が軟骨代謝研究のパイオニアとして世界をリードされていたことを思い浮かべると、これも何かの大きな縁だと感じています。
 現職に着任してからは、関節をラボの柱の一つとして研究を進めており、アカデミア創薬に繋げたいと夢を抱いています(妄想ではありません!多分。)。実現すべきもう一つの大きな夢は、人“財”育成です。鈴木先生が退官記念に書かれた本に、“金を残すは、下なり。名を残すは中なり。人を残すは上なり。”と記されています。上述してきましたように、これまで恩師や沢山の先輩方に助けて頂いてきましたが、一緒に仕事をしてきた沢山の若い仲間たちがいなければ、私の研究生活は継続不可能だったと思います。このことを肝に命じて、後進育成に励み、人が財産になるように頑張っていきたいと思っています。また研究は、山あり谷ありで、その高低差が激しく、時には長いトンネルに入り込んでしまうことも少なくありません。その時は、“継続は力なり”と自らに言い聞かせて、目の前の仕事に集中しています。若い方々は、一つや二つの失敗で、決してめげたり、諦めたりしないでください。地道な仕事も継続すれば、やがて束になり、新しい道と繋がり、必ずや大きな木の幹になると信じています。

The Chemical Dynamics of Bone Mineral
最近のラボメンバーでの飲み会(数名、写っていません。すみません)。

趣味諸々
 飲み会(ワイン、アイラモルト、バーボン、日本酒、芋焼酎が好き。←何でもやん!)、スポーツ観戦(学生時代は、ラグビー、野球、スキーに没頭するも、最近は筋トレとウォーキングで一杯一杯)、パソコン弄り(最近のパソコンやOSは、壊れにくいので面白く無い!?)、音楽鑑賞(クラシック、ジャズ、ロックからJ-POPまで幅は広い:お気に入りはベートーヴェンとキース・ジャレット。アイドル系はわからない歳になりました)、食べ歩き(最近は、和食が一番!。こ洒落たフレンチは、今は苦手。)、読書は乱読(最近は、池井戸潤さんがお気に入り。)