次の百年へ
- 破骨細胞
- ロコモティブシンドローム
- 整形外科
2006年 日本整形外科学会終了後の集合写真。
「次の百年へ」は、当教室の中村耕三名誉教授が、東大整形外科開局100周年である2006年に日本整形外科学会を主催されたときに掲げたテーマです。次の百年を担う若い医師・研究者の方々に、当教室の歩みを紹介すると共に、私がこれまでの短い研究生活の中で感じたことを伝えられれば、という思いで本稿を記しました。
1)東京大学医学部整形外科学教室の成り立ち
東京大学医学部整形外科学教室は、田代義徳先生が初代教授として着任された1906年に、京都大学と並んでわが国で最も古い整形外科教室として開設されました。田代先生も含めて数名のスタッフでの船出でしたが、その後徐々に医局員も増加して日本の整形外科をリードする教室に発展していきました。当時は「整形外科」という名称も存在せず、「矯正科」「整形科」「矯正外科」など様々な呼称が候補に挙がったようですが、田代先生が「整形外科」という名称に統一されました。「整」の字には「これを束ね、これをうち攴(う)ち、これを正しうす(束之攴之而正之)」という意味があり、形を整えれば機能も正しくなるという意味がこめられています(田代義徳「整形外科の説」日本医事週報 第616号, p.10, 明治10年1月発行より)。
田代先生時代の東大病院の外来通院患者さんの内訳をみますと、10代以下の若い患者さんが多く、疾患としては脊椎の結核症である脊椎カリエス、関節結核、小児麻痺などの感染症や先天性疾患が主でした。100年余を経た現在、日本は世界有数の長寿国になり、田代先生時代とは整形外科の取り扱う疾患の種類も内容も大きく変わってきています。現在では骨粗鬆症や変形性関節症など、いわゆる老化をベースにした変性疾患が大きな割合を占めており、研究もまた、分子生物学やコンピューターシミュレーションなど、最新の手法を用いたものへと変化してきています。しかし田代先生の「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」という座右銘に表れているように、「個人的な功績を上げることよりも、その功績を生み出すための精神的な土壌が重要である」という精神は今も教室に脈々と引き継がれていますし、「運動器の問題に取り組む」という整形外科学の根本は不変です。
2)東京大学整形外科学教室と骨代謝
さて当教室と骨代謝学との接点は古く、田代先生はドイツのFreiburg大学に留学中に”Histologishe Untersuchungen an osteomalacishen Knochen(骨軟化症性骨の組織学的研究)”(Beitr. Path. Anat., 34, 220-241, 1903)という論文を発表され、この論文で医学博士の学位を受けておられます。また1906年に東京医学会雑誌に掲載された「富山県下ニ於ケル所謂奇病ニ就テ」では、富山県下に発生した諸所の骨が彎曲する奇病を調査し、患者の病態がクル病性骨変形と骨軟化症様疼痛を併せ持つものであることを報告されましたが、これはいわゆる富山県のイタイイタイ病の最初の報告とされています。また第三代教授の三木威勇治(いさはる)先生は様々な分野で業績を残されていますが、骨粗鬆症も重要なテーマの一つであり、吉川靖三先生、横関徳二先生、司馬正邦先生といった先生方が東大整形外科における骨代謝研究の礎を築かれました。吉川先生の東大整形外科同窓会誌への寄稿には、骨代謝研究を始められた頃はCaバランススタディを行うために屋上で便を焼く異臭が大変だったこと、また未脱灰標本をご自分で作成された際の試行錯誤などが述べられており、黎明期のご苦労がしのばれます。1959年に横関先生は日本整形外科学会雑誌に発表された論文「骨萎縮に関する臨床的研究 殊にPostmenopausal OsteoporosisのEstrogen代謝について」(日整会誌33: 97-114, 1959)の中で、骨粗鬆症患者においては尿中のエストロゲン排泄が低下していることを報告されています。これはエストロゲン不足が骨粗鬆症の原因であることを明らかにした極めて先駆的な内容の論文です。その後も林泰文先生や中村利孝先生といった教室の諸先輩方が骨代謝領域で多くの業績を残されています。
3)私と骨代謝研究とのかかわり
私は昭和62年に東京大学を卒業し、東京大学医学部整形外科学教室に入局しました。私が入局したころの教授は、のちに病院長も務められた黒川髙秀先生(昭和38年卒)でした。黒川先生はユニークな発想と無限の体力・精神力をお持ちの方で、困難な症例にも怯むことなく立ちむかう姿がとても印象的でした。当時整形外科病棟は大変古い(汚い?)病棟でしたが、教室をあげて複合組織形成、いわゆる脚延長の臨床応用に取り組んでいる最中で、病棟は活気にあふれていました。創外固定器を用いて持続的に牽引力をかけることにより、下肢長が10 cm以上も伸びること、そして牽引力によって骨組織のみならず筋や神経も新たに形成されるという事実を目の当たりにし、研修医ながら生体の果てしない可能性に深い感動を覚えました。
黒川髙秀先生最終回診後の集合写真 1998年3月25日
私と骨代謝研究との関わりは、黒川先生のお勧めもあり、大学院生時代に平成2年から3年間研究生として須田立雄教授(当時)が主宰されていた昭和大学歯学部生化学教室に国内留学する機会を得たことに始まります。当時の須田研究室は、多くの大学や企業から研究者が集う、骨代謝研究の梁山泊とも言える場所であり、研究することの楽しさ・難しさ、実験結果に真摯に向き合うことの重要さを叩き込まれました。ちょうど骨芽細胞と脾細胞との共存培養によるマウス破骨細胞分化系が確立されたころで、須田先生や高橋直之先生(現松本歯科大学 以下同)のご指導の下、宇田川信之先生(松本歯科大学)、赤津拓彦先生(並木病院)、田村達也先生(中外製薬)といった先生方と破骨細胞分化・活性化の謎に取り組むことができました。この3年間は研究に没頭できたという意味で私にとってかけがえのない期間であり、破骨細胞愛を刷り込まれた時期でもありました。破骨細胞研究以外にも、須田研にはビタミンD代謝や骨芽細胞分化などを研究しているグループもあり、大変お世話になりました。また同じ建物で研究されていた山口朗先生(東京医科歯科大学)や佐々木崇寿先生(故人)といった方々と知り合うことができたのもこの時期でした。
昭和大学でお世話になった先生方と。
(写真左)左より高橋直之先生、宇田川信行先生、筆者(写真右)左より須田立雄先生、筆者、Hong-Hee Kim先生
その後、須田先生のご紹介で、研究テーマが近いことで知遇を得ていた米国Yale大学細胞生物学教室のRoland Baron先生の研究室でさらに2年あまり破骨細胞の基礎研究を続ける機会を得ました。研究もさることながら、米国留学中に得た財産は、研究を通じて世界各国に友人ができたことです。「科学は研究者を国際人に育ててくれる」というのは須田先生のお言葉ですが、まさにそれを実感できた2年間でした。帰国後もBaron先生とは大変親しくさせていただいており、人の繋がりの大事さを痛感しております。Baron先生は60歳を超えてから、それまで長く務めたYale大学から新たな活躍の場を求めてHarvard大学に移動されましたが、現在でも大変アクティブに活躍しておられます。須田先生、Baron先生ともに現在もサイエンスに対する変わらぬ情熱を持っておられ、私の大きな目標になっています。
(上)Roland Baron先生と。 New Haven 2005年
(下)Baron研の同窓会。 神戸 2013年
4)研究内容
須田研で初めに与えられたテーマは「破骨細胞分化機序の解明」というものでした。先にも述べたように当時は破骨細胞分化に重要な因子というのは明らかになっていませんでしたので、高橋先生が開発された骨髄細胞培養系や共存培養系といったシステムを用いて研究を行っていました。マウス破骨細胞分化系はin vivoの形質を反映するという点で極めて優れた実験系であり、この実験系を用いてマクロファージコロニー刺激因子の破骨細胞分化における役割を明らかにすることができました。また成熟破骨細胞を純化する手法を当時明海大学にいらっしゃった久米川正好先生に教えていただき、破骨細胞活性化における細胞内シグナル伝達についての研究に取り組みました。これが後にYale大学で行った破骨細胞におけるc-Srcシグナルの研究へとつながり、c-Srcの下流分子としてc-Cblを同定することができました。1996年に東京大学に戻ってからは、織田弘美先生(現 埼玉医科大学)の元で関節リウマチ診療に携わるとともに、破骨細胞研究をつづけ、関節炎における骨破壊メカニズムについても取り組みました。この時大学院生として一緒に研究させていただいた、現在東京大学免疫学教室の教授である高柳広先生をはじめとして、多くの優秀な大学院生に手伝っていただきながら研究を継続することができました。私自身の大きなテーマは破骨細胞の分化、活性化、そしてアポトーシスの分子メカニズムの解明であり、これまで教室の仕事として発表させていただいたものとしては、アデノウイルスを用いた遺伝子導入、Bcl-2ファミリー分子の破骨細胞アポトーシスおよび活性化に対する役割の解明、次世代シーケンサーを用いた破骨細胞分化制御の包括的解析、関節リウマチにおける骨破壊の分子メカニズムなどの研究が挙げられます。
5)現在の教室
2012年1月から教授として東京大学医学部整形外科教室を主宰させていただいております。前任の中村耕三名誉教授(現 国立障害者リハビリテーションセンター総長)は、運動器の障害による要介護の状態や要介護リスクの高い状態を表す「ロコモティブシンドローム(locomotive syndrome, 運動器症候群)」という新しい概念を提唱され、人が独立して生きるために運動器の健全性を保つことの重要性をうったえられました。高齢化が進む中で、ロコモティブシンドロームの認知度を高め、運動器疾患に対して有効な対策を講じることは、日本整形外科学会においても中心的に取り組むべき課題と位置付けられています。現在のわれわれの教室の大きなテーマも運動器疾患への対策です。ナビゲーションを用いた脊椎手術や膝靭帯再建術、高度な変形や破壊を生じた関節に対する人工関節置換術、関節鏡や内視鏡による最少侵襲手術、悪性腫瘍の化学療法や広範切除術、関節リウマチに対する薬物療法など、最先端の外科治療はもちろん、最新の薬物療法や理学療法など、運動器の健康を保つためにあらゆる手法を用いて治療を行っています。また新しい時代の整形外科医療を目指して、最先端のコンセプトや手法を用いた基礎研究にも積極的に取り組み、多くの世界的な業績を上げています。このように現在は教室一丸となって運動器疾患対策に取り組んでおります。
6)おわりに
スティーブ・ジョブスは25年後の世界を見ていたそうですが、ジョブスでも預言者でもない我々に100年後を正確に予想することは困難でしょう。しかし、単なる「今の続き」ではない100年後のために、現在何をすべきかを考え抜くことこそが我々に課された使命であると考えています。この原稿を書くにあたってあらためてこれまでを振り返ってみると、いかに多くの方々に支えられてきたかということに驚きとともに感謝の念を禁じえません。自分自身がこれまでご指導いただいた方々の期待に十分に応えられているとは思いませんが、興味の持って取り組める研究テーマがあったこと、それを多くの方々とともに追及することができたのは大変幸せだったと思います。
若い方々には近視眼的なトップランナーを目指すのではなく、是非とも長期的な夢やビジョンを持って基礎的・臨床的課題に取り組んでもらいたいと思います。100年後への歩みはすでに始まっています。
The only way to do great work is to love what you do. -Steve Jobs-