患者さんを救い、知的好奇心を満たす
- 代謝性骨疾患
- 成長
- ビタミンD
若い人の参考のために、私の研究歴を振り返りたいと思います。私が、骨カルシウム代謝に興味を持ったのは、基礎研究室で研究を行うというカリキュラムにより、微小管のカルシウム感受性の実験を行った学生時代(1980年頃)です。阪大の第2薬理学教室において、和田教授、渡邊助教授の指導のもと、微小管がカルシウム濃度の変化で、フィラメント構造をとったり、バラバラになってしまったりするという仕組みが、カルシウム結合タンパク質によるという仮説を検証するものでした。当時、阪大におられたカルシウム結合タンパク質カルモジュリンの発見者垣内史郎先生の影響もあったと思います。微小管のassembly, disassemblyは電子顕微鏡で確認でき、私は、カルシウムという単純な分子(原子でもある)がこのような複雑な生命現象を制御し、しかもそれが目に見えるということに、心から感動しました。もともと大学院生のテーマで、3年かけてもうまく実験がすすんでなくて宙に浮いたprojectを私が引き継ぎ、配属の数ヶ月間で、目的のタンパク質を精製したので、すごく褒められてさらに研究に興味を持ちました。ちなみに、この教室には高岡邦夫先生の命を受けた吉川秀樹教授(大阪大学整形外科学、当時は大学院生)が、骨肉腫から分泌される骨形成促進因子(BMP)の精製に来ておられて、その苦労も横で拝見しておりました。
しかし、臨床の実習が始まると、臨床医として働くことに興味が移り、小児科に入ることになりました。小児科を選んだのは、小児の成長に興味があったからでした。研修がおわり専門性を磨く時には、カルシウム、成長というキーワードから、清野佳紀先生が率いる腎•骨代謝グループに属することにしました(1984年)。清野先生には、代謝性骨疾患患者の診療の仕方を教えていただいただけでなく、研究の方向性も教えていただきました。最初は、藤田尚男先生の解剖学教室で、ビタミンDとインスリン分泌の組織学的検討を行い、形態学の基本を学びました。次に、京都大学の清野裕先生の教室に派遣され、上記テーマを分子生物学的手法で追求する機会に恵まれました。当時、清野裕先生の研究室では、インスリン分泌メカニズムをチャンネルとの関係性や、消化管ホルモンとの関連性で検討するという先駆的なお仕事をされていましたが、私は自分の研究で手一杯で、それらのすごさを理解しておりませんでした。しかし、その研究が実をむすび、やがて臨床応用されるという、研究の理想型を見させていただき感謝しております。写真は、私が初めて参加した国際学会であるVitamin D workshop 1988です。
さらに、清野佳紀先生のご紹介で、当時米国HoustonにいたPike先生のところに留学することになりました(1989年)。当時、Pike研究室は、ビタミンD受容体(VDR)のcDNAクローニングのあと、VDR異常症の変異解析を終え、VDRによる遺伝子発現制御機構の解明に取り組んでいる所でした。私より少し前に、曽根照喜先生が留学しておられ、いろいろと教えていただきながら、ヒトオステオカルシン遺伝子のビタミンD応答配列(VDRE)の決定を行うことが出来ました。この時代は、熾烈な競争下で研究を行う喜びと苦しさを学ぶことが出来ました。Pike先生自身は、研究室の場所を変えながら、一貫してVDRの遺伝子発現制御機構を研究しておられて、その姿勢には、今でも教えられます。
留学中に清野先生が岡山大学小児科の教授になられたのですが、とりあえず、阪大小児科に帰ることになりました。2年を経ただけだったのですが、留学前の印象とは異なり、研究室は手狭でごちゃごちゃしており、dutyは多く、研究を続けていく気力は萎えてしまいました。偶然のきっかけで、大阪府立母子保健センターの検査科病理に勤めることになりました。部長の中山雅弘先生に良くしていただき、小児科と病理学を結びつけるような仕事をしておりました。骨系統疾患の解剖例については、日本で一番経験している医師になっていたと思います。ここで、初めて、成長軟骨にアプローチする手段を得、軟骨増殖分化と成長に関する研究を始めることにしました。
さらにラッキーなことに、母子医療センター総長の松本圭史先生、研究所長の関口清俊先生の推薦を受けることができ、1994年、同研究所環境影響部門の部長となりました。当時、PIという言葉も知らなかった経験の浅い半端な研究者に対して、このようなチャンスをいただき感謝しております。当時の、母子センター研究所の外部評価委員には、岡田善雄先生、豊島久真男先生、岸本忠三先生、浜岡利之先生、曲直部寿夫先生ら、そうそうたるメンバーがおられて、「なんでそんな研究やってるんや」と厳しい指摘を受けながら頑張っておりました(写真1)。この時代の初期には24位水酸化酵素遺伝子におけるVDREの解析を大山義彦先生と共同で行い、帝人の石塚先生らと共同でビタミンDアンタゴニストの開発を行いました。また、VDRの核移行シグナルの同定などを、途中から環境影響部門に加わった道上敏美先生と明らかにしました。Wntと骨形成については、LRP5とLRP6の相違点、PTHのanabolic effectに関与するwntシグナルなどを明らかにしてきました。軟骨分化については、gene trap法を用いて新たな分子の同定などを行いました。代謝性骨疾患についても、低フォスファターゼ症やPTHrP産生腫瘍について、病態解析を行いました。
(写真1)
そして、またもや幸運に恵まれ、2002年に大阪大学小児科学の教授となりました。松本圭史先生は、私のことを評して、全体を見通してバランス良く考える性格なので、むしろ臨床教室の方が実力を発揮できるとアドバイスをいただきました。この評価が正しいかどうかは分かりませんが、私自身に分かることは、患者さんのためにという目標と、自身の知的好奇心を満たすために探求するという意思が両輪となって、研究を推進していく力となることには間違いがないということです。大学院生にも、研究していく上で、MDであることは、年齢や臨床dutyなどの点でハンディともなるが、壁にぶち当たった時に患者さんの顔を思い浮かべることで、頑張ることができるというメリットは非常に大きいと伝えています。私自身も、骨疾患の患者さんがかわいくてたまらないのですが、同時に、治療できない場合が多く、無力感に打ち拉がれます。「時間がかかっても良いから、治療法を見つけたい」、そう考えて、研究、診療を続けております。
大阪大学小児科では、中島滋郎、平井治彦、難波範行、高桑聖、窪田拓生、北岡太一、三浦弘司、大幡泰久、藤原誠、山本景子、中山尋文が骨代謝研究に加わり、母子保健センター研究所で私の後任部長の道上敏美先生、箕面市立病院の山本威久先生との共同研究で、臨床的な視点からの骨代謝研究を行っております(写真2)。一度、阪大小児科のホームページをご覧ください。「治らない病気を治る病気へ」を目標に、治験を積極的に行い、また、疾患特異的iPS細胞を用いた研究により、治療標的となるシーズを見つけるべく研究を行っています。若い人へのメッセージもホームページに記載しております。日本骨代謝学会の会長も務めさせていただきましたし(写真3)、ANZBMSとの合同学会の日本代表もさせていただきました(写真4)。ぜひ、共同研究等を通じて、共に、骨代謝分野の発展に貢献しましょう。
(上:写真2)2013年の御用納めでの一枚。(中:写真3)第29回日本骨代謝学会の学術集会にて。(中:写真4)ANZBMSの日本代表になった際の写真。
私の趣味(楽しみ)は、野球、映画、お酒ですが、中島友紀先生におだてられて、昔、日本語の雑誌「The Bone」に掲載していた「映画の話」を復活させますので、今回は、特に記載しません。またの機会にということで、よろしくお願いします。