日本骨代謝学会

The Japanese Society for Bone and Mineral Reserch

JP / EN
入会・変更手続
The Japanese Society for Bone and Mineral Reserch

Event/イベント情報

Book/関連書籍のご案内

member/会員ページ

Infinite dream

TOP > Infinite dream > 石井 優

骨の生体イメージング ~どこから来て、どこへ行くのか~

大阪大学大学院 免疫細胞生物学教室 石井 優
  • イメージング
  • 破骨細胞
  • 関節リウマチ

「関節リウマチで骨を破壊する破骨細胞が、実際の生きた骨の中でどのように動いているか調べたい。そう強く感じてアメリカに渡りイメージング技術を学び、これを元に骨組織のライブイメージング系を立ち上げた」― これまで講演等で、私は自身の研究の流れをこのように語ってきた。それは確かに誤りではないのであるが、告白すると実際には若干の“都合のよい”脚色がなされている。本稿では少し違った観点から、私の骨イメージング研究を振り返ってみたい。

ラボ実験室内の一風景
2014年7月,ラボ実験室内の一風景。実験室でのディスカッションが至福のひと時。

始まりは、カメラ好きのロマンチスト
科学者や偉人の伝記を読むのが趣味であった私は、小さい頃から何となく学者になりたいと思っていた。クラシック音楽や絵画・文学が好きで、百年以上も前の人が作った作品が、今なお人々の心を動かし続けていることに感動した。自分の体は滅んでも自分が生きた証・その精神が生き続けるような、そんな仕事がしたいと、今から思えば大層なことを子供ながらに感じていたのを思い出す。
大学に入ってすぐのヨーロッパ旅行が契機となり、目で見た感動をイメージとして残したいと思い、カメラ撮影に凝りだした。大枚をはたいて一眼レフや望遠・広角レンズを購入し、時間があれば国内外に撮影旅行に繰り出した。当時はまだデジカメではなく、リバーサルフィルムと呼ばれる高価なスライド用フィルムを使っていたので、「適当にたくさん撮って、後でいいものを選ぶ」という訳には行かない。1回毎の撮影が真剣勝負であり、画角・F値(絞り)・露光時間など、諸条件を十分に検討して渾身の1枚を撮影する。この頃に得た知識は、後にイメージング研究を行う際にかなり役立ったと思う。
ひとつの転機が訪れたのは医学部3回生の時、“基礎配属”というプログラムで、医学部薬理学講座に数か月間配属された時であった。ここではレーザー顕微鏡で細胞内イオン濃度を可視化したり、顕微鏡下で電極を突き刺して電位を測定したりしていて、顕微鏡という「カメラ」を使って生きた細胞機能を撮影する研究に感銘を受けた。しばらく夢中で取り組んでいたところ、「せっかくなら本場で勉強してきたら」と教授から言われ、夏休みに2ヶ月ほどドイツ・ゲッティンゲンのMax Planck研究所に遊学する機会を得た。行った先のボスのNeher教授はノーベル賞を受賞された大変高名な学者であったが気さくな先生で、当時まだ何も知らない学部学生であった私に対しても真摯に優しくご指導を頂いたことを記憶している。しかしながら、ラボ内での議論は厳しく徹底的であり、学問をすることの楽しさと厳しさ・親しみ易さと近寄り難さを、少しなりとも体験できたのは本当に大きな財産となった。

Erwin Neher教授と
1995年8月,ドイツ・ゲッティンゲンのマックスプランク研究所にて、Erwin Neher教授とともに。初めての海外ラボ体験は刺激的であった。しかし私も若かった。

自分の場(ニッチ)を求めて、動く細胞、さまよう私
大学卒業後、当時岸本忠三教授が率いておられた第3内科(現、呼吸器・免疫アレルギー内科)に入局した。これは、学生時代に岸本先生の“型破り”の内科学講義に感銘を受けたことと、私が学部6年の頃に学生の取り纏め役をしていたときに当時の医学部長であった岸本先生と面談(陳情)する機会を多く頂いたことによる(お誘い頂いた訳ではない)。入局して分かったが、免疫内科は本当に面白い。とにかく不思議な病気が多いし、調べればいろいろ分かるが、分からないことがさらに出てくる。最新の基礎研究成果を元にした新しい治療法もどんどん登場するし、いま最もホットな診療科の一つであると思う。臨床医としての仕事は本当に楽しかったが、2年が経つ頃に「研究に従事したい」という思いがやはり頭をもたげてきた。
 当時の免疫学の主流は(今でもそうであるが)、分子生物学によるシグナル分子の同定や発生工学技術によるノックアウトマウス解析であった。ただ、私はそこへは“走化性”を示さなかった。これは私の元来の“天邪鬼”的性格によるものであろうが、漠然と「研究をするなら、自分固有の立ち位置(ニッチ)を持ちたい」と考えていたのかもしれない。結局、学部生時代に基礎配属でお世話になった薬理学教室に行くことにした。関連教室ではなかったので、第3内科は一旦辞めて行くこととなったが、医局との軋轢は特になかった。今も昔も、第3内科の魅力の一つは「出入り自由」ということである。
 ここでは免疫学とは全く縁のない、心臓や神経の電気生理解析に従事することになった。様々な顕微鏡を使いこなして画像を取る毎日は、これはこれでまた楽しい。生きた細胞の中でシグナル伝達がどのように制御されているのか、顕微鏡を使って観察し、これを論文発表する。正に、趣味と実益を兼ねた仕事である。しかしながら、そんな中「ここもやっぱり、自分がずっといるニッチではない」と感じるようになってきた。根無し草のようにフラフラとさまよう私であったが、迷いもあったがここは自分の感性を信じることにした。学位を頂いた後、せっかく頂いた助手の職も辞して、臨床医として戻ることとなった。

臨床からの疑問を得意の基礎研究技術へ、自分のニッチの立ち上げに向けて
5年ぶりの臨床現場での仕事は戸惑いの連続であった。関節リウマチの治療には生物製剤が標準的に使用され、また複数の薬剤の治験が進行中であった。他の診療領域でも、様々な新しい検査法・治療法が登場しており、浦島太郎の気分を味わい、医学の進歩を痛感した。当時、国立大阪南医療センターには、私が第3内科の研修医のときに指導を受けた佐伯行彦先生が部長をされており、私にリウマチ内科医員として勤務する機会を頂いた。今から思うと、長い間臨床現場から離れていた私を常勤医師としてよく雇ってくれたものだとつくづく思う。
 この病院には小さいながらも研究室があり、一通りの必要な研究機器が整備されていた。中でも私は、あまり使われてなさそうな、一台の機械に注目した。顕微鏡である。これを改造して、細胞融合を起こすので“動きが面白そうな”細胞をタイムラプス撮影することにした。これが破骨細胞との出会いであった。単に“面白そう”なだけではない。当時、生物製剤もメソトレキセートもなかった時代から長年関節リウマチに罹っていて、重度の骨破壊に苦しむ患者さんを臨床現場で数多く目にした。この骨破壊の直接的な「犯人」である破骨細胞に関心をもつのは自然の成り行きでもあった。  さて、臨床と研究を進める中で、破骨細胞の動きを制御するメカニズムに興味を持つようになった。関節リウマチの患者さんでは骨破壊部位にたくさんの破骨細胞が引っ付いている。破骨細胞を「引き寄せる」何らかの機構があるのではないかと思い、いろいろスクリーニングしたところ、スフィンゴシン1リン酸(S1P)に出会った。さらにこの破骨細胞の動きを何とかin vivoの環境(=生きた骨の中)で見られないかと思い、生きた骨組織内のイメージングに挑戦した、という経緯はこれまで私が様々な機会で紹介してきた通りである。
 生きたリンパ節の中で、T細胞や樹状細胞が動く様子を捉えた「生体2光子励起イメージング」のムービーを初めて見たときは血が騒いだ。アメリカに渡り米国国立衛生研究所のGermain博士の下でこの研究手法を学び、これを元にして長年の念願であった骨組織内の生体イメージング系の開発に挑戦した。米国滞在中から始めて帰国後も続く2年以上をかけた研究開発であり、最初は全く何も見えない中からの手探りで苦労も多かったが、不思議と辛かったという思い出はない。私は顕微鏡を丸一日見つめていても平気なので、そうだったのかもしれないが。しかし、最初に真っ暗闇の中に骨の中の細胞らしきものが見えた時の感動は今でもはっきりと記憶している。初めは目の錯覚かと思う程度の微弱なイメージが、諸条件を改良することで鮮明に見えてきた。骨組織内で生きた細胞の動きと場所をはっきりと見えるようになったとき、基礎と臨床の間をフラフラと揺れ動いてきた私自身の生きるべき“ニッチ”も、ようやく垣間見えたような気がした。

Ronald Germain博士と
2007年6月,米国NIHにて、Ronald Germain博士とともに。研究指導は非常に厳しかったが、留学生活は本当に楽しかった。

ありのままの自然の姿を見る、新しいサイエンスの在り方を目指して
 その後、私の研究室のメンバーの絶え間ない努力により、骨内部のイメージング技術は長足の進歩を遂げるに至った。いまや破骨細胞の動態・分化・機能の実体や、骨芽細胞との機能連関、免疫細胞との相互作用など、骨の中で起こっている現象をリアルタイムで解析することができるまでになってきた。昔、私は共用の顕微鏡をシェアして苦労して実験をしていたが、「自前で最新型の顕微鏡が購入できるようになったら、好きなだけ研究ができてどんなにか楽しいだろう」と思っていた。ところが、いざ購入できるようになると、自分で実際に手を動かして実験をする時間がほとんどないというのは何と皮肉なことか。それでも、ラボ内で新しいデータが出ると、自然と心が躍ってくる。いつも思うが、自然とは本当に面白い。新しいイメージを元に、ラボメンバーとあれこれ妄想を膨らませて議論を重ねるのは楽しい至福のひと時である。生体イメージングでは、生きた体の中の、生きた組織・臓器の中で動き、働く、生きた細胞達の姿を解き明かすことが可能である。最近の要素還元論的なライフサイエンス研究では、ともすれば仮説を偏重する傾向はないだろうか。私はまず、ありのままの自然の姿を見て、そこから真理を解き明かす立場を今後も大切にしたいと思う。
 突き詰めると3つの“心”に帰着すると思う――私が研究を続ける動機である。1つ目は“知的探究心”で、「本当に体の中で何が起こっているのか、その真実を知りたい」~イメージングが得意とするところである。2つ目は“美への好奇心”。大自然も美しいが、我々の体の中の「小さな大自然」も勝るとも劣らず美しい。研究をしていて、こういう美しさに出会えるのは、イメージングならではの「役得」である。3つ目は“功名心”。石を積んで大聖堂を築くような、科学という人類の壮大な共同作業の中で、自らも何かをなしたい。小さくてもよいので、確実な石を積みたい。いや、でも、できるなら一際大きくて目立つ石を積みたい。本当に幸運なことであるが、私はこれらの心を共有する多くのラボメンバーと出会うことができ、いま同じ道を歩み、共に石を積んでいる。また、ラボメンバーのみならず、本当に多くの人の理解と支援があってこそ今の仕事が成り立っていることを忘れてはならない。

ラボメンバー集合写真
2014年4月,ラボメンバー集合写真(数人は抜けているが、ほぼ全員)。

「私達はどこから来て、何者で、どこへ行くのか」― 骨を中心とした生体イメージング研究をする者である私は、こうやってここに来た。これまでの多くの幸運に感謝しつつ、さらに前に、もっと前にこれから進んで行かなければならない。