満天の星のように輝く骨細胞ネットワークを皆にみてもらいたい!
- 骨細胞
- バイオイメージング
- メカニカルストレス
最初に、このような企画に執筆の機会を頂きまして誠にありがとうございます。研究者を長距離ランナーに例えると、私はどのコースを走っているのか、どこに向かっているのか全く実感がつかめないままこれまで参りましたので、ご指名頂き大変身に余る思いです。平成元年にスタートしました私の長距離走も26年の月日がたち、時間的経過からも折り返し地点は過ぎました。まずは、これまでを振り返って、一つの研究テーマ「骨細胞のバイオイメージング」を続けることができたこと、そしてそれを支えて下さった多くの先生に巡り会えたことに心から感謝申し上げます。また、これからも走り続けることによって、新たな発見、真摯に研究に取り組む多くの先生との出会いに期待して、これまでの研究の経緯をご紹介させて頂きます。
帰国して最初に共焦点レーザー顕微鏡でとった骨細胞ネットワーク。
ステレオ写真で投稿することで立体感を出す。ただ、立体的に見えるように目の焦点を合わすのが至難の業。
私は、「研究」という響きにかっこよさを感じ、平成元年に徳島大学歯学部を卒業後、同大学院に進学し歯科矯正学を専攻しました。私の最初の研究の転機は、当時骨の研究を活発にされていた明海大学口腔解剖久米川正好先生の教室に国内留学できたことだと思います。私の主任教授の河田照茂先生と久米川先生が大学時代の同級生ということもあり、徳島大学からは、それまでも多くの先生が研究で明海大学に行かれていました。私はその流れの中、最後に行かして頂く機会を得ました。久米川先生から学んだことは、できるだけ研究をオープンにする姿勢です。そのような研究室に沢山の異なる分野の研究者が集まり、フランクに議論がなされ、研究が発展していくことを目の当たりにしました。また、研究に対する熱意は、人を動かすということをご自身が私達にみせてくれました。当時は、手塚建一先生(現岐阜大学)がカテプシンKを発見するにあたって必要であった破骨細胞の単離を私達は行っていましたが、毎日、大量の培地交換をしなければなりません。単なる交換でなく、前日にウサギの骨髄液をそのまま培地と混ぜて培養しますので、破骨細胞以外の細胞が沢山残っています。それらを除きながらの培地交換となりますから、大変な作業です。多いときでしたら100枚近くを交換しなければなりません。ある朝、大学にいくと、すべての培地が綺麗に交換されていました。久米川先生、結果を待てなかったようです。この朝の出来事はいつまでも心に残り、研究に対して、いかなるときでも自分から進んで動いていくという私の基本姿勢に影響しています。
その後、縁あって平成7年にインディアナ大学医学部で神経細胞の細胞骨格をご専門にされているSoo-Siang Lim先生(現National Science Foundation)の教室で学ぶことができました。家族ぐるみで留学を支援して頂き、本当に充実した留学生活を送ることができました。この留学が第2の転機となりました。骨細胞と神経細胞は同じように樹状突起を形成しますので、どのように骨細胞が複雑な構造を形成しているのかをLim先生のもたれている神経細胞のデータを参考にしながら解析することができました。また、この過程で、バイオイメージングに必要な各種の顕微鏡について一から学ぶことができました。忘れられないのは、初めて骨の中の骨細胞を免疫蛍光染色したときに顕微鏡下で広がっていた景色です。それは、満点の星のように輝く骨細胞のネットワークでした。なんとかこの美しさを皆に伝えることができればという強い思いを抱きました。幸運だったことに、私が留学しているときに、インディアナ大学に新しい共焦点レーザー顕微鏡が設置されました。そこで、初めて骨細胞ネットワークを3次元的に表すことができました。今でこそ、顕微鏡で取った写真をすぐに印刷できるような世の中になっていますが、当時は、カメラこそCCDでしたが、そのあとは、ネガフィルムからの作業でしたので、写真が手に入るまで本当に苦労しました。どこの過程でも気を抜くことができないことを経験し、写真一枚にかける思いを強く感じるようになりました。それは、構想であり、準備であり、忍耐であり、そして失敗を許容することだと思います。この姿勢が今の私のバイオイメージングの研究の柱になっていると思います。
平成26年4月に入局した5名の新人を含めて総勢25名の教室。研究マインドをもった矯正歯科医を一人でも多く育てて行きたい。
このように留学では、研究に対する新しい知識、そして基本姿勢を学ぶことができましたが、研究者としては、まだまだ未熟なまま帰国してきました。その足りないものは、研究者になるための覚悟といったようなものです。振り返ってみますと、帰国しても学生の気分が抜けないまま過ごしたために、大変失礼なことも多々行ってしまいました。本当に甘かったように思います。そのような中、現在所属しております岡山大学で平成11年から山本照子先生(現東北大学)と一緒に研究をさせて頂いたことが第3の大きな転機になりました。その後の研究に対する姿勢をプロフェッショナルなものに導いて頂いたように思います。皆さんご存知のように、研究を続けるためには、どうしても必要なものとして、研究費、研究機材、そして人材があります。それをすべてにおいて充実させることが研究者として大切です。そのために必要なことを山本先生は未熟な私に大変親身になって教えて下さいました。また、研究を長く続けるためは、まず自分が大学人として、滅私奉公することがいかに大切であるかを、ご自身の研究に対する姿勢、熱意で私に教えて下さいました。また、どんなことがあっても、いつでも相談にのってくださるという絶対的な安心感も与えて下さいました。このように学んだものは私だけではありません。当分野出身の多くの先生が、現在も国内外の大学でご活躍をされていることからもいえると思います。これまでに学ばせて頂いたことが、今の研究者あるいは管理職としての姿勢にも生かされていると信じております。
ほぼ毎月、3人が持ち回りで推薦図書とDVDを決め、開催日までに鑑賞してくるという地元倉敷の友人と作った「ソクラテスの会」。
同じ図書、映画であっても感想はそれぞれ全く違うことがお互いの刺激に!写真は記念すべき第1回の写真。
現在、27回目(5月現在)を数える。会の主旨は、「無知の知」。知ることの探究心は普遍!
そして、今年2月に山本照子教授、山城隆教授(現大阪大学)の後任としまして、岡山大学歯科矯正学分野を担当させて頂くことになりました。歯科矯正学の研究として、「なぜ力をかけた歯が移動するために、硬いと思われていた骨が形をかえるのか?」を追求していくために骨細胞にターゲットを絞って研究を続けて参りました。恥ずかしいことではありますが、研究を続けて20年以上たちますが、まだ核心には遠く及ばないところに位置しております。しかし、現在の職に就かせて頂いたことは、これからも同じテーマを探求することを許されたものと喜びを感じるとともに、責任を感じております。冒頭に述べさせて頂きましたように、私は多くの先生との出会いによって、これまで研究を続けることができました。ご紹介できなかった先生にはこの場をお借りしまして心からお礼申し上げます。また、これからもどうぞよろしくお願いします。そして、新しく出会う先生との心躍るような研究での繋がりを夢見て、時流に流されることなく今の研究を進めて参りたいと思います。
平成26年5月30日 岡山大学にて
略歴
1989年 徳島大学歯学部卒業
1993年 徳島大学大学院博士課程修了
1993年 徳島大学歯学部歯科矯正学講座助手
1999年 岡山大学大学院歯科矯正学分野講師
2006年 岡山大学大学院歯科矯正学分野助教授
2007年 岡山大学大学院歯科矯正学分野准教授
2014年 岡山大学大学院歯科矯正学分野教授