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博士の音色

【博士の音色】本当の天才は努力家で露出も少ない

骨がなければピアノも弾けない、骨大事です

 解釈や演奏の質の高さで、何者をも寄せ付けない程聴き手に圧倒的な印象を残す、というのはプロの演奏家、特に録音よりもライブにこだわる演奏家にとって一つの到達点(我々素人にとっては完全に神の域)だと思います。今回は私にとってそんな一例を紹介したいと思います。

 名前はグレゴリー・ソコロフ(Grigory Sokolov)。ロシアのピアニストです。資料によると1950年生まれですので、2015年の現在は65歳でしょうか。どうやら、録音よりもライブ演奏にこだわる人らしく、発売されているCDなどメディア媒体での露出は極端に少ない人です。どういったきっかけだったか忘れてしまいましたが、この人が2002年にパリのシャンゼリゼ劇場で行ったライブ演奏のDVDを数年前に手に入れました(Grigory Sokolov Live in Paris)。

グレゴリー・ソコロフ「Grigory Sokolov Live in Paris」
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 どの曲の演奏も異常に高い完成度なのですが、アンコール前のメインがプロコフィエフのピアノソナタ7番変ロ長調作品83、3曲の“戦争ソナタ”で最も有名なピースで、これはもうピアノという私が40年来つきあってきた楽器の概念を完全に覆すものでした。第1楽章冒頭からその丁寧な澄み切った世界観に引き込まれますし、第2楽章での“無音”に近い間の取り方は独特でしたが、何と言っても最終第3楽章Precipitato が圧巻です。ピアノソナタの最終楽章としてはかなり短く、しかも相当な難曲で、殆どのピアニストはとにかくスピードに乗って超絶技巧さながらの演奏をします。例えばアルゲリッチの演奏では3分ほぼぴったりです。私など、聴いていて眼がまわりそうですが、なんとソコロフは同じものをたっぷり4分かけて、楽譜に書いてある音全てを完全にしかも空間にまるで生きているかのごとく遊ばせます。私にとって初めてのプロの演奏としてはゆっくりめに聴こえてしまう超絶技巧でした。特にフィナーレに向かう最後の2ページはやたら弾くべき音が多いのとやや不自然な腕の水平方向への瞬間移動を強いられますが、なんとこの人は非常に高い打点から一音一音、この世のものとは思えない澄んだ音で紡いで行きます。すなわちどう見ても水平方向よりも垂直方向の動きが大きい、この曲に限って言うと物理的に不可能にも思える動きなのですが、よく考えてみたら、演奏している時間が人よりも長い、と言ってもこの特異的な動きからのみ可能となるピアノの打楽器としての一面を引き出す手指の瞬間瞬間の空間移動速度は、計算上常に驚異的に速いことに気づきます。すなわち全て計算し尽くされているんですね。ああ、これこそ、真の天才芸術家が我々常人には想像を絶する程の時間と労力を注ぎ込んで到達した、他人に絶対まねできない高みなのだ、と畏敬の念をいだいてしまいます。何かの記事でよみましたが、ヨーロッパでの演奏旅行中で彼のライブ演奏用のピアノの準備に携わった人のコメントに、ソコロフほど本番直前まで長時間にわたって弾き込むピアニストはみたことがない、というのがありました。おそらく、ライブのない普段の日は言わずもがななのだと思います。

 私、恥ずかしながらこのピアニストのことを以前は全く知らず、過去に何度か来日していたとのことで、生演奏を聴けた人がうらやましい限りです。今後も来日することがあればいいのですが、録音が少ないせいか、日本では殆ど話題になるのを最近でも聞いた事がありません。海外では十分な評価なのでしょうが、日本でももっと評価されていい、プロアマ問わずピアノと付き合う人はむしろ若いうちから聴いておくべき演奏家の1人のように思います。

2015年7月31日 骨がなければピアノも弾けない、骨大事です