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ソクラテスの書棚

【ソクラテスの書棚】浅田次郎作「赤猫異聞」

SIDURI
浅田次郎「赤猫異聞」
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 本書の舞台は明治元年、長年続いた江戸幕府の泰平の世が終わりを告げ、新政府による治世が江戸の街を混沌とした空気に包んでいた時代である。

 暮れも押し迫った十二月二十五日、江戸・伝馬町の牢屋敷に大きな激震が走った。囚人達の人望を一身に集める牢名主・信州無宿繁松に即日死罪の命が下されたのだ。繁松の罪状は賭博開帳、どんなに重くても島流しの罪だと目されていた。それがなぜ、この年の瀬にそのような不条理な沙汰が下されるのか。誰もが了簡できない想いを抱えて土壇場に臨んだその瞬間、北風の吹く冬空に早鐘の連打が響き渡った。人々は動きを止め、口を揃えて合唱した。「赤猫じゃ」と。

 「赤猫」が「放火」の符牒だということは、ご存じの方も多いだろう。しかし当時の伝馬町牢屋敷では、火事で火の手が迫った際の「解き放ち」をそう呼んでいたのだという。どんな極悪人でも人の命には変わりないと信じ、鎮火の後には必ず戻ってくることを条件に解き放つ。戻ってくれば罪一等を減じ、戻らない者は探し出して磔獄門。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われているが、解き放ちはその華の中の華とも言える情け深い沙汰だった。

 火の手が迫る中、牢屋奉行・石出帯刀は苦心の末「解き放ちをいたす」と言い渡した。四百を超える囚人達の解き放ちが粛々と行われたが、最後に三名の重罪人が残された。土壇場から舞い戻った信州無宿繁松、旗本の幕臣で官軍を夜な夜な斬り続けた侍・岩瀬七之丞、江戸三大美女と称され夜鷹の大元締の罪で投獄された白魚のお仙。いずれ劣らぬ重罪人達に告げられた厳命は「三人のうち一人でも戻らなければ全員が死罪、三人とも戻れば全員が無罪、三人とも戻らなければ牢屋同心・丸山小兵衛が腹を切る」というもの。何の縁もないはずが一蓮托生の運命を課せられた人々。解き放たれた彼らは、一体どこに向かうのだろうか。

 重罪人ではありながら、彼らの罪にはそれぞれの理由があった。江戸から明治へと移り行く激動の中で、彼らは理不尽に罪を背負い、無慈悲な裏切りに合い、邪魔者として消されようとしていた。三人の解き放ちを渋って斬り捨てようとした役人達に、牢屋同心・丸山小兵衛が放った言葉が印象的だった。

 「解き放ちは火事にも喧嘩にもまさる江戸の華なのではござらぬのか。それともおのおの方は、江戸を乗っ取った薩長に媚びへつろうて、華を捨て石くれを抱くおつもりか。(中略)どのような理屈にもまさって重きは、人の命にござる。その人の命を父子代々にわたり奪い続けた不浄役人なればこそ、この華ばかりは石に変えてはならぬ。解き放たれよ」

(本文より)

 東京の下町には、今もなお江戸を彷彿とさせる空気が残っている。祭りの喧噪、職人魂、粋な街。どんなに世の中が変わっても、人々は全力で自分の生活を楽しみ、道理や筋を尊重してお互いに支え合って生きているのだろう。浅田次郎氏は彼の全作にわたって義理や人情を描き続けている。その心意気を感じる本作品を、ぜひご一読いただけたら幸いである。