【Drs' アートギャラリー】オルガンとともに
日本ではオルガンというと小学校の音楽室にある足踏みオルガンを想像する方が多いでしょうが、ヨーロッパではオルガンといえばパイプオルガンのことを指します。石造りの大聖堂は硬い石が音を反射するために長い残響を作り出し、オルガンの荘厳な音にとって最高の音響効果をもたらします。大聖堂そのものが楽器の一部と言っても過言ではありません。オルガンはまさに石の文化とともに発展してきた楽器です。いつからオルガンを始めたのかとよく聞かれます。6歳のときからピアノのレッスンは受けていました。ただ、嫌いでしょうがなく、中学入学と同時にレッスンはやめました。自分で好きな曲を弾き出したら面白くなり、中学、高校と自己流でピアノを弾いていました。しかし、それでは限界があることに気づき、大学入学と同時に再度、ピアノのレッスンを受けることにしました。小学生のときとは違い、自分の希望で始めたことですから、先生も驚くほどのスピードで成長していきました。その先生が、「あなたの演奏はベートーベンやショパンなどよりもバッハの平均律やインベンションなどのポリフォニー(多声音楽)の楽曲のほうが向いています。ピアノよりもオルガンをやったほうがいいのでは」と勧めて下さいました。そして当時、東北学院大学のオルガニストである岡井晃先生からオルガンの指導を受けることになりました。医学部3年生のときです(1976年)。東北学院大学はキリスト教系の大学で、作家の伊藤整が「日本の大学のチャペルでもっとも美しい」と絶賛したラーハウザー記念礼拝堂があります(国の登録有形文化財)。ここにある米国・モーラー社製のオルガンでレッスンを受けました(図1右手のオルガン)。このオルガンは鍵盤を押してから音が鳴る(聞こえてくる)までに若干の時間差があるため、音を聴きながら弾くと徐々にテンポが遅くなってしまうというオルガンでした。これはパイプの下の弁を開けるスイッチが電気系統を使っており、その反応がやや遅いことに加えて、演奏台がパイプ・ケースから20 mほど離れていることもこの時間差を大きくしています。とにかく非常に弾きにくいオルガンでした。普段の練習は東北学院大学のオルガン練習室にあるカワイの電子オルガンで行い、月1回のレッスンのときだけ礼拝堂のオルガンを使わせてもらいました。その後、医学部5年生(1978年)のときに新しいオルガン(ドイツ・ベッケラート社製)が入りましたが、このオルガンはトラッカー方式といって鍵盤を押すとその動きがトラッカーという細い棒の連結を伝わって直接パイプの弁を開ける仕組みでしたので、鍵盤を押すと同時に音が聞こえ、はるかに弾きやすくなったのを覚えています(図1左手のオルガン)。
米国留学から帰国した翌年の1994年に秋田大学に赴任しました。秋田アトリオン音楽ホールにはフランス・ケルン社製のオルガン(44ストップ)が設置されています。県民オルガニスト養成講座上級コースのオーディションを受けて香取智子先生のレッスンを2年間受けることができました。講座修了演奏ではバッハの前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552を演奏しました(図2)。
2005年7月にイギリス肩肘関節外科学会で講演依頼があり、ケンブリッジに行ってきました。学会長であるコンスタント先生(肩の評価スコアであるコンスタント・スコアで有名)はケンブリッジ大学の教授であるとともにカトリック教会の牧師でもあるという先生で、彼の教会 Our Lady and the English Martyrs でオルガンを弾かせてもらいました。
2006年6月から東北大学に戻り、仙台青葉荘教会で月1回のオルガン奏楽奉仕を続けています。2012年6月には長年の願いであったオルガンを自宅に入れることができました。ドイツ・オーバーリンガー社製(11ストップ)のオルガンです(図4)。
最近では、2015年10月にローマで開催された肩関節不安定症に関する国際シンポジウムに呼ばれたとき、ローマ大学の知人(バチカン市民権をもっている)を通してお願いしていたバチカンのサン・ピエトロ大聖堂のオルガンを弾かせてもらいました(図5)。
事前に履歴書などの申請書を提出し、バチカン法王庁から特別に許可をいただきました。バチカンのカメラクルーも来てくれて、演奏を録画してもらいました(図6)。これを2017年5月に仙台で開催する日本整形外科学会学術総会の開会式で開会演奏としてご披露したいと考えています。