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骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」

安田女子大学 保健センター長、薬学部教授 藤原 佐枝子

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」

はじめに
 私の骨粗鬆症研究の学会デビューは日本骨代謝学会で、育てていただいたのもこの学会の方々です。しかし、次第に職場(放射線影響研究というミッションをもつ)の立場上、ご無沙汰していました。中島先生から執筆依頼があったときには、「私が?」と驚きましたが、一方で、疫学の私にご依頼くださったのが、嬉しくて、身の程知らずと思いながら受けました。
 私が骨粗鬆症の疫学研究を始めたのは日本にDXAの導入が始まった頃で、骨密度の定量化によって骨粗鬆症の臨床・疫学研究が劇的に進んだ時代の流れを知っていただければと思います。

疫学の大御所と骨粗鬆症の大御所との出会い
 私が、骨粗鬆症の疫学研究を始めたのは、疫学の大家との出会いに始まります。
 広島大学医学部を卒業後、呼吸器内科に入局して、放射線影響研究所(放影研)に勤務しました。放影研は日米の共同研究施設で、1950年から広島・長崎の原爆被爆者コホート11万人を、死亡診断やがん登録からの情報を得、その中の約2万人を1958年からの2年に1回の定期健診で追跡し、放射線被ばくの長期影響を調査しています。周到に組織された大規模集団の疫学調査は、その規模、構成、追跡の精度は世界に類をみないものとなっています。しかし、当時、私は、疫学に全く興味はなく骨とも関係ないテーマで学位論文を仕上げていました。
 骨粗鬆症の疫学研究のきっかけは、1980年代に理事長として赴任してこられた重松逸造先生(公衆衛生・疫学)と細田裕先生(疫学)との出会いでした。当時、高齢化社会(65歳以上の割合が人口の7%を超えた社会)と言われるようになり、これから迎えるさらなる高齢者の増加に対する医療に注目が集まっていました。重松先生から、「これからは、骨粗鬆症と認知症の疫学の時代だ」「藤原さん、放影研にある蓄積されたデータから何かしなさい」と突然命じられたことが始まりです。心の中で「私は内科なのに(その頃、骨粗鬆症は整形外科と思っていました)」と思いつつ、長年蓄積された胸部X線検査の椎体骨折の診断を使って発生率を求めると、「椎体骨折は、近年の出生コホートほど発生率は低下している」という興味深い結果が得られました(図1 J Clin Epidemiol 1991:44:1007)。これが、骨粗鬆症の疫学研究の初仕事で、国内の学会発表も経験が浅かったのに、お二人に背中を押されて、1987年のデンマークのAalborgの国際学会で発表しました。この結果は、ずっと後になって、Cooper先生(現IOF(International Osteoporosis Foundation) President)が、覚えていてくださっていて、長期蓄積データの“強み”を感じました。
 重松先生に、大学の後輩である折茂肇先生(当時東大老年病教授)に引き合わせていただいたことも、大きな弾みになりました。折茂先生を中心に、1987年に初回の大腿骨近位部骨折全国調査が実施され、研究協力者として参加しました。この全国調査は現在まで続き、日本の骨折発生率の推移を示す重要な調査となっています。折茂先生を通じて中村利孝先生、福永仁夫先生、白木正孝先生とも気軽にお話しできるようになり、いろいろな面からご指導いただきました。
 私が疫学研究を始めた時期は、骨粗鬆症研究において大きな転機を迎えた時期でした。1987年頃よりDXAが日本でも普及し始め、1993年に椎体骨折の半定量的判定法が、1994年には、WHOの骨粗鬆症診断基準が発表されました。骨粗鬆症や椎体骨折の診断が、従来のX線像の主観的な読影によるものから、客観的な方法に変わったことは、臨床・疫学研究を飛躍的に発展させることになりました。放影研のミッションから高価なDXA導入は半ばあきらめていましたが、折茂先生、福永先生(当時川崎医大放射線科教授)のご尽力によって、1994年に念願のDXAを放影研に導入し骨粗鬆症のコホート研究を始めることができました。

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」
図1 骨粗鬆症の疫学研究の初論文

国際比較研究と危険因子の解明
 疫学では、同じ遺伝的背景を持った移民と母国民の疾患の頻度を比べ、そこから危険因子を解明する手法はよく用いられます。放影研は古くから循環器疾患について、ハワイやサンフランシスコの日系人との比較研究をしていました。ハワイでは骨粗鬆症研究も加わり、Hawaii Osteoporosis CenterのWasnich先生、Ross先生との共同研究が始まりました。形態骨折の有病率を、広島、ハワイの日系人、米国ロチェスターの白人女性で比較すると、有病率は高い方から日本人、白人、日系アメリカ人となり、日本人の有病率は日系人の1.8倍でした。この有病率の差は、日系人女性は日本人に比べ、骨密度(あるいは体重)が高く、初経から閉経までの年数が長いことで説明できました。1992年には厚生省長寿科学研究事業の一環として、Hawaii Osteoporosis Center に3か月間留学しました。(写真1はハワイに訪ねてきてくださった重松先生(奥)と、Wasnich先生(右)、Ross先生(私の隣))。
 一方で、放影研の長期のコホート調査を生かした解析も進めました。大腿骨近位部骨折の危険因子を、1978-80年の健診時のデータ、質問票などの情報を使って、14年間追跡して求めました。その結果、ほぼ毎日牛乳を摂取していると骨折リスクは低く、低BMI、アルコール飲酒、椎体骨折既往は、独立して骨折を予知しました。今となっては、どうということもない内容ですが、JBMRにコメントがついて巻頭を飾る論文になりました(J Bone Mineral Res, 1997 12;998)。

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」
写真1 1992年 ハワイ留学中。重松先生(奥)と、Wasnich先生(右)、Ross先生(筆者の隣)

危険因子を使ったスクリーニング・ツール―OSTAとFRAX―
 WHOの診断基準発表後は、骨粗鬆症の薬物治療は、骨密度に基づいて診断され開始されるようになりました。しかし、アジアでは、DXAが普及していない国も多く、いかに骨粗鬆症を診断し、治療開始するかが課題でした。そこで、考えられたのが、骨粗鬆症の危険因子を用いて、骨粗鬆症治療が必要な人あるいは骨密度測定が必要な人をスクリーニングできないかということです。こうして作成されたのが、骨粗鬆症自己評価ツール(OSTA)です。OSTAは、シンガポール、台湾などのアジア8カ国の協力で作成され、広島コホートも加わりました。OSTAは、簡便性を重視して年齢と体重のみを使ったスクリーニング・ツールとして、アジアだけでなく世界中で妥当性が評価され、現在は、骨粗鬆症リエゾンサービスなどに使われています。
 その後、骨密度重視から骨折リスク評価への流れを作ったのは、世界のコホート研究でした。世界の多くのコホート調査で、骨密度は骨折発生の主要な因子ではあるが、骨密度と独立して骨折を予測する重要な危険因子があることが次々報告されました。広島コホートでも、ベースラインの骨密度と骨折リスクとの関係を明らかにし、既存形態骨折は、年齢、骨密度と独立して将来の骨折を予測することを発表しました。その論文がJBMR(2003 18:1547)に掲載が決まるや否や驚く速さで、Kanis先生から、「現在、世界のコホートのデータから、骨折リスク評価ツールを作っていてほぼ、完成しているが、広島のコホートも加わってほしい」と連絡がありました。急遽、広島コホートも加わり、世界の11のpopulation-based cohortのデータから、FRAXが作成され、2008年に発表されました。
 FRAXの発表後、危険因子として入っていない2型糖尿病、COPD、転倒しやすい人などにおいて、FRAXの予測値と実際の骨折発生とのギャップの報告が相次ぎました。そこで、各危険因子に関するシステマティック・レビューが実施され、私も一部を担当し、本格的なシステマティック・レビューの大変さを体験しました。2010年にその結果を持ち寄り、ルーマニアのブカレストで、合意形成、ポジション・ペーパー作りが、朝から晩まで2日を通して行われました(写真2)。ポジション・ペーパー作成では、言葉選びなど細かなことが議論になり、ついていくのが精一杯の状態でしたが、とても良い経験になりました。

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」
写真2 2010年11月ブカレスト FRAX Initiative ISCD & IOF Position Development Conference

新しい出会い
 2012年に、研究とは疎遠になるだろうと思いつつ、放影研から異動しました。2015年に主催した日本骨粗鬆症学会には、IOFからKanis先生、Cooper先生に来ていただき、FRAXのアップデートなど今後の研究の展望を伺うことができ刺激を受ました(写真3)。一方で、この学会開催の準備の段階で、新しい出会いがありました。沖本信和先生、寺元秀文先生、濱崎貴彦先生、中川豪先生、田中正宏先生で、呉・広島で包括的に骨粗鬆症診療に取り組んでいる整形外科医です(写真4)。これをきっかけに、彼らが進めている呉市のレセプトデータベースに基づく研究の相談を受けるようになり、レセプトデータに興味が湧いてきました。国では、電子カルテの普及とともに2010年頃から、全国の病院・診療所をほぼカバーしたレセプト情報を研究に用いることができるようになっています。そのNational Databaseを用いて糖尿病、COPD、ステロイド治療者における骨折発生率(Archives of Osteoporosis 2021 16:106)や、DPC病院のレセプトデータベースを用いて二次骨折の危険因子(Osteoporosis Int 2022 33:2205)を求めたのが、直近の仕事です。これらは、広島コホート2600人規模の調査からは、求められないものです。コホート調査と違って、研究目的で集められている訳ではないデータを検討するのは、一筋縄ではいかない面白さがあります。
 長年、臨床の場と連携した疫学研究を行いたいという思いがあり、いろいろな疫学研究に関わってきましたが、これからは、後輩に疫学の考え方を伝え、臨床研究に生かしてもらい、彼らの研究に微力ながらも貢献していきたいと思っています。

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」
写真3 2015年9月日本骨粗鬆症学会。 白木先生、Kanis先生、Cooper先生、筆者、宗圓先生、Mithal先生、Chung先生

骨粗鬆症疫学研究と歩んで「出会いから道は拓ける」
写真4 2015年9月学会開催をお手伝いいただいた呉・広島の皆さん

おわりに
 私の疫学研究は、素晴らしい人、場所、時に恵まれ行うことができました。さて、この企画の主眼とする次世代へのメッセージとなると・・・、「人、場所、時とのすべての出会いを大切に」ということになるのかもしれません。
 最後になりましたが、これまで、ご支援いただいた先生、スタッフ、製薬会社の方々に、この場をお借りして、心からお礼を申し上げます。また、書く機会を与えていただいた中島先生、日本骨代謝学会の皆様に深く感謝いたします。