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カルシウム パラドックスとの出会い

神戸大学名誉教授 葛城病院名誉院長 藤田 拓男

はじめに
多くの師、共同研究者、又後援者に支えられた私の研究は“カルシウム パラドックス”という一語にまとめられる。1953年から2014年まで,60余年にわたるその流れを一文にまとめることは簡単ではないが、何が私を動かし、導いたかをご理解頂ける一助になれば幸いである。
なぜ1953年、東京大学医学部卒業の翌年私はUniversity of Buffalo Chronic Disease Research Institute でカルシウム パラドックスに出会ったか、その背景から説明したい。1945年京城帝国大学理科乙類入学後4ヶ月で終戦を迎え引揚船を待つ間沖縄から仁川に上陸した米軍の通訳をしてすみこみ英語の魅力に取り付かれ、11月帰国して静岡高等学校に転入学、1948年東京大学医学部入学した。西片町でEvangelical Alliance Mission のMiss Erma TaylorのBible Class 芽あり夢中 になって聖書を勉強し1949年回心,受洗した。
当時米国医学の導入に懸命であった医学界、医学教育に影響され、1951年講和条約とともに始まったFulbright-GARIOA 留学生試験を在学中に受験、合格し1952年7月渡米、Special StudentとしてEJ Meyer Memorial Hospital で1年間rotating internship を済ませ、日本と全く異なる医学教育を体験した。Hench, Kendal らが副腎糖質ステロイドでNobel賞を受けた年でもあり、臨床内分泌学が花を開いた時代であったので、留学期間の延長と研究の機会を得たいと希望し、研究所で臨床と実験生理学研究Research Resident の職を得たのである。
その後の3年を過ごしたUniversity of Buffalo Chronic Disease Research Institute は代謝・運動器疾患を主な研究目標とし、関節リュウマチ・痛風・ポリオ等の部門があり生化学・生理学の一応の研究設備を備えていたが大學自身決して世界に名を知られた名門ではなく、有名な指導者も居ない状態で、ただのんびりしていて自由な時間があった。Buffalo はアメリカでも最も雪の深いところでナイアガラの滝に近いカナダとの国境の町である。ただ現代内分泌学ことにカルシウム内分泌学の生みの親の一人であるFuller Albrightがこの町の出身で、彼を記念するAlbright Art Gallery があったのは不思議な縁であった。研究テーマの決定ものんびりしたもので、何でも好きなことをやりなさいということであった。図書館に行って何日も本を読むうちに本棚の片隅にAlbright の“Parathyroid Glands and Metabolic Bone Disease” を見つけた。研究所に戻るとその夏に流行したpoliomyelitisで呼吸筋麻痺を起こし呼吸補助機(いわゆる鉄の肺)によって生命を維持されている患者が十数人入院している。これらの患者は急性不用性骨粗鬆症を起こし、骨から放出された大量のカルシウムが腎盂を満たす巨謂鹿角型結石を作り、透析の無かった時代の事で腎不全で死亡するものが多かった。カルシウムが生体の機能調節に不可欠な重要な物質である反面、致命的な障害を与えるというcalcium paradox の原型がそこに見られたのである。秋にはボストンのMassachusetts General Hospital にAlbright 博士を訪ね、人体のカルシウム出納バランスを全て記録する代謝病棟の設備や運営法を見学した。

PTHの測定と分泌調節の研究
内分泌学の第一の課題はホルモンの血中濃度の測定である。当時はradioimmunoassayが未だ無くbioassayに頼る他はなかったが、インターンでCushing症候群に出会ったことからACTHがストレスとホルモン調節の中心であり、血中でこれを測定したいと思っていた。副腎での抗酸化作用の強いアスコルビン酸の減少がACTHの副腎に対する最速の効果であることはWestern Reserve 大學George Sayers 教授が報告しており、これをbioassayに応用して血中ACTHを測定することを考え、クリーブランドで2ヶ月bioassayを学んだ。最近カルシウムの抗酸化作用を発見し、ACTHとカルシウム・パラドックスの関係にやっと気がついた。世界に先駆けた人体血中ACTHの測定は1957年にJ Clin Endocrinol Metab 誌に発表し学位論文になった。
1956年帰国後やっと国家試験を受け医師免許をとり、第3内科冲中重雄教授の下で臨床研修終了後内分泌2研で森井浩世・折茂肇先生とカルシウムグループを作った。カルシウム・パラドックスと自律神経の関係を犬で迷走神経切断や頚部交感神経節摘除後低カルシウム血症で副甲状腺ホルモン(PTH)分泌を刺激するため蓚酸負荷を行って調べたのが森井先生の学位論文で、交感神経優位ではPTH分泌亢進、副交感神経優位では逆に低下となった。折茂先生は腎不全犬におけるPTH分泌亢進の学位論文から出発して、新しく出来た吉川政己教授の老年病学教室に私と共に移ってからも腎によるPTH不活性化、うなぎ鰓後体からのエルシトニンの発見などカルシウム・パラドックスに影響する現象を次々と解き明かした。

骨粗鬆症
ACTHとPTHは作用と分泌細胞は全く異なるが、比較的小分子量のペプタイドホルモンであり、PTHの燐排泄促進作用を用いてbioassay を行うのは容易であったが、既にradioimmunoassayの時代となっており,PTHの精製と標識からはじめた。骨粗鬆症診療と研究の中心であった慈恵医大整形外科の伊丹康人教授大畠襄先生から沢山の骨粗鬆患者血清を頂き、同年齢の正常者と比べて明らかに血中副甲状腺ホルモンの高値を認めた。当時骨粗鬆症は閉経後骨粗鬆症以外に無いという考え方が主流で、カルシウム不足・副甲状腺ホルモン分泌亢進と結び付けた点で、世界に先駆けた報告であり、これがカルシウム・パラドックスを初めて現実のものとした。
骨粗鬆症の原因としてカルシウム不足を指摘したのはイングランド北部Leeds 大學のBEC Nordin教授であった。

藤田 拓男

その根拠の一つとして世界各地のカルシウムの摂取量と骨粗鬆症の罹病率の関係があり、調査のためWHOのtravelling fellowとして彼が来日したとき折茂先生が案内と通訳の労をとられたが、腰の曲がったお婆さんの写真を撮らされたとぼやいていた。日本や東アジアのカルシウム摂取不足は有名で、骨粗鬆症も多い筈だと考えたのであろう。人類の抱える最も頻度の高い疾患であり、カルシウム・パラドックス仮説の存在意義でもある骨粗鬆症はこの様にして多くの人の知るところとなった。カルシウム不足、副甲状腺ホルモン分泌亢進により骨から流出し骨粗鬆症を起こしたカルシウムが血管、脳、其の全身組織・細胞で逆説的に洪水の様な破壊的カルシウム過剰を起こす事がカルシウム・パラドックスである。
1975年和歌山医大に新設の高年病内科の教授として赴任した。紀伊半島の山岳地帯では茶粥ばかり食べていると言われるぐらい古くからカルシウム不足が続いているといわれ、八瀬教授がマリアナ火山帯の一環としてNew Guinea と共に筋萎縮性側索硬化症の多発があることを示しており、その原因としてカルシウム摂取不足が指摘されている。循環器内科と共同で骨粗鬆症・動脈硬化と栄養調査を海岸部の大島地区と比較したところ、山岳地帯では海岸部に比べて骨密度が低く、大動脈石灰化が強く、又驚いたことにうつ状態と関連しているといわれる自殺率が10倍も高いことが分かった。即ちカルシウム・パラドックスにより骨粗鬆症と共に動脈硬化も、最近カルシウム・ビタミンD不足との関係が指摘されているうつ状態も起こった可能性がある。紀伊半島では食生活の改善と共にこれらの疾患は減少している。

学会・研究会・国際交流
此の頃から同好の士が増え始め、吉川政己、津山直一、大島良雄、青池勇雄,荒谷真平,伊丹康人,速水泱世話人、藤田拓男,大畠襄幹事で骨代謝研究会が1967年6月18日設立された。現在の日本骨代謝学会の前身である。河口湖カンファランスは若手研究者の自由討論の場として尾形悦郎先生と一緒に考えたカルシウム内分泌談話会であったが、その後内分泌一般に拡大され、現在も存続している。
この様に止むに止まれず研究会もどきのものを次々に作ったのは、欧米の学会での自由な実りの多い討論を何とか日本でも実現したいという思いからであった。Roy Talmage 教授は1960年Houstonで第1回Parathyroid Conference を開催し、以後International Conference on Calcium Regulating Hormones としてMontreal、Oxford, Chapel Hill, Vancouver, Denver, 等を回る間日本への招聘を運動した。
1978年神戸大学第3内科教授となり前任者井村教授の築かれた高い水準の臨床と研究のシステムと優れたスタッフに教えられることが多く、実り多い13年をすごした。1983年には第8回International Conference on Calcium Regelating Hormonesを神戸で開催した。此の領域ではわが国で最初の国際学会であったため、そのインパクトは大きく、国際学術交流を盛んにし研究者の視野を広げた上で有意義なことであった。医局でも留学希望者が増え、このままでは関連病院が維持できないと医局長に苦情をいわれた。特にAvioli, Teitelbaum, Slatopolsky, Hruska 教授等のおられた St.Louis のWashington University には深瀬正晃・筒泉正春先生等10人以上が留学し、NIH のAurbach, California 大學のNorman, McGill 大學のGoltzman, Harvard大學のPotts, Kronenberg, Brown先生にも留学を受け入れて頂いた。逆に留学生としてJanet Lacey 教授を派遣して頂いたNorth Carolina大學のJJB Anderson 教授の友情も忘れられない。

藤田拓男
藤田拓男

その後国際骨粗鬆学会、副甲状腺ホルモン新作用研究会など,大小さまざまの集会をお世話し、学術交流につとめた。
神戸大学定年後国立療養所兵庫中央病院長を勤め、現在岸和田市の葛城病院名誉院長として骨粗鬆症外来で診療。最近の成果として痛電計(皮膚インピーダンス測定)による痛覚判定の定量化・エチドロネート大量療法(1日平均200mg)による難治疼痛の治療・レスタミン軟膏塗布による局所的鎮痛療法の開発がある。

次の世代への一言
世界で未だ誰も知らないことを真っ先に突き止め、これを世界に通ずる言葉で発表して苦しんでいる方々の役に立てて下さい。